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キズナ〜選手と家族の物語〜

おかんに怒りをぶつけた情けない日々
湘南・梅崎司は「無償の愛」に救われた

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浦和加入2年目、一緒に暮らす家族に訪れた悲劇

梅崎司は2008年に大分から浦和へ移籍。その後、家族は幸せに暮らすかと思われたが……
梅崎司は2008年に大分から浦和へ移籍。その後、家族は幸せに暮らすかと思われたが……【島田香】

 今シーズン、梅崎司は10年間在籍した浦和レッズに別れを告げ、湘南ベルマーレに加入した。移籍を決めた背景には、30歳を過ぎ、「このままフェードアウトしていくような感覚があったけど、そんな自分をもう一度、奮い立たせたかった」からだという。


 後押しとなったのは、湘南のチョウ貴裁監督に言われた「本来、周りに合わせるタイプの選手ではないと思っている」という言葉だった。キャリアを重ね、経験を積んでいく過程で、どこかトゲが取れ、丸くなっていた自分がいた。チョウ監督のひと言に「すべてを見透かされていた」と感じた梅崎は、「ここでならば成長できる」と、新天地を踏む決断をした。

 振り返れば、プロになる夢をかなえた大分トリニータから浦和に加入したのは2008年だった。前年にアジア王者に輝いた強豪でプレーすることになった梅崎は、加入1年目の2008年、J1で22試合に出場してシーズンを終えた。ちょうど、そのタイミングで高校3年生になっていた弟から、関東の大学を受験したいとの相談を受けた。中学卒業と同時に大分ユースに加入し、母と弟を長崎に残してきただけに、今度は自分が力になろうと思った。だから梅崎は、母・庭子さんにこう提案したのである。


「おかんも一緒にこっちに来て、3人で暮らそうよ」


 思いがけない息子の発言に、母である庭子さんは喜んだ。


「離婚してからは、ずっと両親と暮らしていたので、ふたりを残していくのは心配でしたけど、どこかで嫌な思い出が残っている長崎を捨てたかったというか、出たいという思いもあったんですよね。だから、みんなで一緒に埼玉で暮らそうと言ってくれたときはうれしかったですよね」


 2009年3月、梅崎は家族と一緒に暮らすようになる。久々というよりも、初めてに近い家族3人での生活。幸せな家族の暮らしが始まるはずだった……。

原田大輔

1977年、東京都生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めた後、2008年に独立。サッカーを専門にした編集プロダクション「SCエディトリアル」を立ち上げ書籍・雑誌の編集・執筆を行うほか、Jリーグの取材も精力的に行っている。『ブラジルワールドカップ観戦ガイド完全版』(TAC出版)を監修。『FOOTBALL DAYS』(ぴあ)の編集にも携わった。