2001年 toto本販売をめぐって<前編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

サッカーファンの日常に溶け込んでいるtotoだが

2001年3月3日にtotoの本販売がスタートした 【写真は共同】

「宇都宮さんはね、totoの本質がまだぜんぜん分かっていないですよ」──インタビューの途中で、いきなり指摘されてしまった。元『totoONE』編集長で、17年間にわたってtoto予想を続けてきた岩本義弘。今年2月、私はこの人から連載を引き継ぐことになったのだが、これまで50回の連載で2回しか的中させていない(それも当せん金は微々たるものだ)。連載開始に合わせて自分でもtotoを買うようになったので、投資金額はそろそろ5万円を超える。ところが偉大な先達は「収支でいったら、僕なんか200万円以上のマイナスですよ。でも、いいんです。それだけ日本のスポーツ界に貢献していますから」と豪語する。

 そんなtotoがスタートしたのは、21世紀がスタートしたばかりの2001年3月3日。当時のtotoのインパクトは、それなりに強烈だった。イエローを前面に押し出したビビッドなロゴ。テレビでもにぎやかしいCMが流れていたし、関連雑誌は雨後のタケノコのように創刊された。そして何より、マークシートを鉛筆で塗りつぶすという行為そのものに、「共通一次世代」の私は奇妙な親近感を覚えたものだ。しかしそのうち、販売店が限られていること(当時はコンビニでも購入できなかった)、投票の手続きが面倒なことがネックとなり、17年後に連載を始めるまで、totoはすっかりご無沙汰になっていた。

「Jリーグ25周年」を、当事者たちの証言に基づきながら振り返る当連載。第20回となる今回は、2001年(平成13年)をピックアップする。02年のワールドカップ(W杯)日韓大会を1年後に控えたこの年は、ファーストステージ優勝のジュビロ磐田と、セカンドステージ優勝の鹿島アントラーズによる2強時代のラストシーズン。年間優勝は鹿島だったが、最優秀選手賞(藤田俊哉)と最優秀監督賞(鈴木政一)は磐田が獲得し、ベストイレブンは鹿島と磐田から5人ずつが名を連ねた。だが、鹿島がこの次にリーグ優勝するのは6年後の07年。磐田は翌02年を最後に、リーグ制覇から遠ざかっている。

 この年のJリーグは、J1・J2ともに3月10日開幕。その1週間前の3月3日、totoの本販売がスタートした。今ではすっかり、われわれサッカーファンの日常に溶け込んでいるtoto。コンビニやネットでも簡単に予想できるし、totoBIGで6億円が当たることも特別なニュースではなくなった。またtotoの助成金によって、サッカーのみならず、さまざまなスポーツ施設の原資となっていることは周知の通り。しかしtotoが本発売となる前夜は、そうした常識がまったく通用しない世界が広がっていた。今回は、そんな話である。

スポーツ振興くじ法案が可決された背景

「スポーツ振興くじ実施」に尽力した田村幸男 【宇都宮徹壱】

 まずはtotoの「胴元」にいた人物に登場していただこう。田村幸男が文部省(当時)から日本体育・学校健康センターに新設された、スポーツ進行投票部に出向したのは1999年4月のこと。与えられた肩書は「スポーツ振興投票部長」。当時、52歳だった。それまでサッカーとは縁がなかった田村にとり、スポーツ振興くじ(当時は「サッカーくじ」とも呼ばれていた)については「国会でもめているな」くらいの認識しかなかった。「スポーツ振興投票の実施等に関する法律案」を含む3つの法案が衆議院本会議で可決したのは、前年の5月27日。スポーツ振興投票準備室が発足したのは同年の7月だったが、それまでは文部省1階の小部屋で「ひっそり待機していた」という。

「国会でもめていた理由ですか? 要するに『教育をつかさどる文部省が、ばくちの胴元になるとは何事か!』ということですね。そのご指摘については、否定するつもりはありません。ただし一定の要件がそろえば、法律的には可能だという話です。それと日本のアマチュアスポーツは、これまでずっと企業と大学によって支えられてきたという歴史があります。けれども企業も大学も、財源が無限にあるわけではない。国民の生涯スポーツを成り立たせるためにも、スポーツ振興くじという新たな財源が必要になる。もちろん教育的な配慮も必要で、そこでの妥協点が『19歳未満購入禁止』というものだったんです」

 法案が通って以降、スポーツ振興くじ実施のためにやるべきことが山ほどあった。関係政令及び省令の制定、委託金融機関の公募と選定、海外での視察と調査、販売店網と払い戻し場所の整備、などなど。一方、愛称の決定もまた、スポーツ振興くじを世に知らしめる上で重要な案件であった。ネーミングからロゴデザイン、さらには宣伝広告を請け負ったのは、大手広告代理店の博報堂。愛称については、さまざまなアイデアが浮かんでは消える中、世界的にも通りが良い「toto(トト)」が選ばれた。ただし登録商標には、ひとつ問題が。日本にはTOTOという衛生陶器メーカーがすでにあったからだ。

「TOTOさんとは何度も話し合いの場を設けましたね。先方としては、当然のように権利を主張してくるわけですよ。それに対してtotoの場合、もはや世界中で通用している一般名詞ですから、こちらとしても譲れない。むしろきちんとすみ分けをして、双方にとって良い方向に持っていったほうがいいんじゃないでしょうか──。そういった提案をさせていただきました」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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