2001年 toto本販売をめぐって<前編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

静岡でのテスト販売、そして本販売へ

静岡でのテスト販売を経て華々しく全国販売がスタート 【(C)J.LEAGUE】

 totoのテスト販売が行われたのは、20世紀最後の年となる2000年のこと。第1回販売は10月28日から11月4日、第2回販売は11月11日から17日まで、いずれも静岡県限定で行われた。日本でテスト販売をする場合、静岡か広島で実施されることが多い。人口規模が多すぎず少なすぎず、東京や大阪といった大都市からの影響も受けにくいので、テレビCMや新聞広告の効果測定もしやすい。結局、東京からアクセスの良い静岡が選ばれた。それにしてもなぜ、シーズンが佳境に入る時期に実施されたのだろう。

「テスト販売については、もっと早いタイミングでやりたかったんです。結局、コンピュータのシステムが間に合わなかったので、ギリギリのタイミングになってしまいました。一番心配されたのが、19歳未満への販売禁止がきちんと守られているかどうか。未成年に見えるお客様に、きちんと年齢確認ができているかどうかは、かなりチェックしましたね。ただ、静岡というサッカーどころでのテストだったので、当初の見込みよりも相当多く売れました。地元メディアも盛んにCMや広告を打ってくれました」

 静岡でのテスト販売は、コンピュータのシステムに改善の必要性が見られたものの、十分に確信が持てる結果となった。ここから本販売となる01年3月3日まで、田村にとって胃の痛くなるような日々が続く。特に気をもんだのが、販売網の構築が遅れ気味だったこと。当初はコンビニで販売できなかったため、弁当屋や喫茶店などの小売店で売ってもらうように働きかけた。関係者が全国を飛び回り、およそ1万店舗を確保。そしてついに、本販売当日を迎えることとなる。オープニングイベントが開催された、東京・晴海の販売所から1億円の当せんが出て、toto人気は一気に盛り上がった。しかし、田村はこう続ける。

「出だしは好調でしたが、toto人気はそれほど長続きしませんでした。スポーツのために買っている人もいましたが、圧倒的多数のお客様は宝くじの感覚で買っていたんですよね。当時はtotoBIGがなかったし、1等がたくさん出て当せん金が1万円くらいになった回もありました。それに販売店が限られていたことと、マークシートが手書きというのがネックでしたね。本当はネットでも売りたかったんですが、そうなると『19歳チェックはどうするんだ?』という話に、どうしてもなってしまう」

 結局、ネット販売が解禁されたのは、05年8月27日になってから。しかしその効果は、期待されたほどではなかった。06年の売上金額は134億7099万円、翌年の助成事業費は7850万円にまで落ち込んでいる。toto販売当初の売上金額が642億6677万円、助成事業費が57億8000万円だったことを考えると、極めて深刻な状況であったと言わざるを得ない。田村自身も後ろ髪引かれる思いで、03年にスポーツ振興くじの仕事から離れることとなった。

<後編につづく。文中継承略>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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