2001年 toto本販売をめぐって<前編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」
静岡でのテスト販売、そして本販売へ
静岡でのテスト販売を経て華々しく全国販売がスタート 【(C)J.LEAGUE】
「テスト販売については、もっと早いタイミングでやりたかったんです。結局、コンピュータのシステムが間に合わなかったので、ギリギリのタイミングになってしまいました。一番心配されたのが、19歳未満への販売禁止がきちんと守られているかどうか。未成年に見えるお客様に、きちんと年齢確認ができているかどうかは、かなりチェックしましたね。ただ、静岡というサッカーどころでのテストだったので、当初の見込みよりも相当多く売れました。地元メディアも盛んにCMや広告を打ってくれました」
静岡でのテスト販売は、コンピュータのシステムに改善の必要性が見られたものの、十分に確信が持てる結果となった。ここから本販売となる01年3月3日まで、田村にとって胃の痛くなるような日々が続く。特に気をもんだのが、販売網の構築が遅れ気味だったこと。当初はコンビニで販売できなかったため、弁当屋や喫茶店などの小売店で売ってもらうように働きかけた。関係者が全国を飛び回り、およそ1万店舗を確保。そしてついに、本販売当日を迎えることとなる。オープニングイベントが開催された、東京・晴海の販売所から1億円の当せんが出て、toto人気は一気に盛り上がった。しかし、田村はこう続ける。
「出だしは好調でしたが、toto人気はそれほど長続きしませんでした。スポーツのために買っている人もいましたが、圧倒的多数のお客様は宝くじの感覚で買っていたんですよね。当時はtotoBIGがなかったし、1等がたくさん出て当せん金が1万円くらいになった回もありました。それに販売店が限られていたことと、マークシートが手書きというのがネックでしたね。本当はネットでも売りたかったんですが、そうなると『19歳チェックはどうするんだ?』という話に、どうしてもなってしまう」
結局、ネット販売が解禁されたのは、05年8月27日になってから。しかしその効果は、期待されたほどではなかった。06年の売上金額は134億7099万円、翌年の助成事業費は7850万円にまで落ち込んでいる。toto販売当初の売上金額が642億6677万円、助成事業費が57億8000万円だったことを考えると、極めて深刻な状況であったと言わざるを得ない。田村自身も後ろ髪引かれる思いで、03年にスポーツ振興くじの仕事から離れることとなった。
<後編につづく。文中継承略>