母校愛が止まらない! 南ア名門校の先輩・後輩が語る “ジェントルマン”の源流

チーム・協会

(左)メルヴェ・オリヴィエ、(右)ピーター"ラピース"ラブスカフニ 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

人生を変える学びを得たグレイカレッジ高での日々

※本記事はクボタスピアーズ船橋・東京ベイの公式ファンクラブ「spears+」の入会特典であるファンブックの記事で取材した内容から、一部抜粋したものを掲載しています。
スピアーズの主力フランカーのピーター"ラピース"ラブスカフニ選手、そして今季に入団したばかりの新鋭、メルヴェ・オリヴィエ選手はともに南アフリカの強豪校・グレイカレッジ高校の出身。対談企画で話しているうちにお互いに母校愛が止まらなくなり、ファンブックに収まりきれなかった部分をここに公開します。ラピースと言えば、そのイメージは“ジェントルマン”。多くの人を魅了する紳士感の源がここにある!

――お二人の出身校であるグレイカレッジ高校は南アフリカのラグビーの強豪校です。日本との接点で言うと、高校生世代の国際大会であるサニックスワールドラグビーユース交流大会にも出場していました。
ラピース これは私が中学生のころの話ですが、地元ラジオ局の朝の放送を聞いていたら、グレイカレッジ高校がその大会の準決勝戦で勝利したというニュースが流れてきたんです。そして、その翌週のニュースでは、決勝戦でニュージーランドの高校に圧勝して優勝したと。
――記録によると、グレイカレッジ高校は2001年に同大会で優勝しています。
ラピース そのときのニュースの内容は今も覚えていて、私がグレイカレッジ高校に進学しようと思ったきっかけの一つでもあります。その大会では、優勝校に記念品として刀の鍔(つば)が贈られるんです。その鍔は私が在校したころも学校に飾られていました。

――どのような校風の学校だったのですか。
ラピース グレイカレッジ高校は男子校で、例えば同じ学年で何か問題を起こした生徒がいたとします。すると、その学年の生徒全員の連帯責任になるんです。これはとても厳しい措置のように思われるかもしれませんが、誰だって「お前のせいで罰を受けるはめになった」なんて、言われたくないものです。そうした中で連帯感が生まれ、強い絆が育まれていきます。母校愛も深まり、ファミリーのような友達もできていきます。

メルヴェ 今まさにラピースが「ファミリー」という表現をしましたが、そうした連帯感のもと、私たちは一つになることができていました。

ラピース だから、隣の席の生徒とも仲良くしましたし、その彼も私によくしてくれました。そんな同志たちとともに過ごした時間は、私にとってとても貴重な経験になりました。これはラグビーの試合前もそうだったんですが、月曜日から金曜日まで、生徒たちは集会所に集まって一緒に歌をうたうんです。その歌を聞くと、いまだに鳥肌が立ちます。

――ちなみに男子校ということですが、学園祭などで女子校との交流などはあったのでしょうか? そういったときは、やはりワクワクしたものですか?
ラピース いつもワクワクしていました(笑)。私たちの学校の隣に、ち女子高があったんです。また、5㎞ほど離れた場所にも女子校がありました。学校のフェスティバルなどで、そうした学校に行くのがとても楽しみでしたね。

――年齢で言うとお二人の間には13年の開きがあります。校長先生やラグビー部の監督は一緒なのですか?
メルヴェ いえ、代替わりしています。校長先生もラグビー部の監督も変わっています。
ラピース 私にとって当時の校長先生は、人生を変えてくれたと言っても過言ではないほどの存在でした。人として考え方、信じることの重要性などを教えてくれたのが校長先生です。その校長先生の影響を受けて、人生が変わった生徒はたくさんいると思います。
――多感な高校生の時期にすばらしい出会いがあったのですね。
ラピース 私は寮生だったのですが、一つの学期の間、3週末ごとに寮を出て実家に帰ることができたんです。入寮間もないころはその3週間後が待ち遠しかったものの、寮生活が長くなってくると、次第に実家には帰らずに、ずっと寮にいるようになっていました。夏休みのような長期間の休みになると、その時間がとても長く感じられて「早く学校に戻りたい」「みんなに会いたい」という感情が強くなっていきました。それほど学校が好きになったんです。

メルヴェ 私が住んでいた町から学校の寮までは、600㎞ほどの距離がありました。1年生のころにはコロナ禍に見舞われたのですが、学校活動を再開されるのが本当に待ち遠しかったです。学校の先生たちや友達に会ったときに特別な感情を抱いたことは今も覚えています。

――600㎞というと東京から島根県くらいの距離があるのですが、そうした距離感は南アフリカでは一般的なのでしょうか。
メルヴェ 寮生の中にはもっと遠くのナミビア共和国から来ている生徒もいました。次に遠いところでは、1000kmほど離れた街から来ている生徒もいましたね。
ラピース 私が寮生だったころはナミビアからきている生徒はいませんでしたが、ケープタウンという遠くの街から来ている生徒はいました。学校からケープタウンまでも、1000kmほどはあったはずです。だから、遠いところからわざわざ多くの生徒たちが来るような、そんな魅力的な学校だからこそ、私も入学できるようになりたいと思っていたんです。みんなで規律を守り、みんなで強くなっていく。そんな学校でした。そこでの教えは、今も私の中に生きています。

文:藤本かずまさ
写真:チームフォトグラファー 福島宏治

※2人の対談のより深い内容は、ぜひファンブックからご確認ください。

南アフリカと日本の距離はおよそ14000キロ。南アフリカの名門校で成長した二人が、日本のスピアーズというチームで鎬を削る 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

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著者プロフィール

〈クボタスピアーズ船橋・東京ベイについて〉 1978年創部。1990年、クボタ創業100周年を機にカンパニースポーツと定め、千葉県船橋市のクボタ京葉工場内にグランドとクラブハウスを整備。2003年、ジャパンラグビートップリーグ発足時からトップリーグの常連として戦ってきた。 「Proud Billboard」のビジョンの元、強く、愛されるチームを目指し、ステークホルダーの「誇りの広告塔」となるべくチーム強化を図っている。NTTジャパンラグビー リーグワン2022-23では、創部以来初の決勝に進出。激戦の末に勝利し、優勝という結果でシーズンを終えた。 また、チーム強化だけでなく、SDGsの推進やラグビーを通じた普及・育成活動などといった社会貢献活動を積極的に推進している。スピアーズではファンのことを「共にオレンジを着て戦う仲間」という意図から「オレンジアーミー」と呼んでいる。

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