2003年 W杯というレガシー<前編>
シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

サポーターCDに収録されなかった『アイシテルニイガタ』

熱狂的な応援で知られるアルビレックス新潟のサポーター
熱狂的な応援で知られるアルビレックス新潟のサポーター【宇都宮徹壱】

「おーれーたちが ついてるさニイガタ ヤケドさせてくれ、このゲーム おーれーたちが ついてるさニイガタ 伝えたい、この想い アイシテルニイガタ!」


 連休明けの5月12日に行われたJ2リーグ第14節。フクダ電子アリーナでのジェフユナイテッド千葉とアルビレックス新潟のゲームは、ホームの千葉が1点リードして試合を折り返していた。後半開始早々、新潟のゴール裏から定番チャントの『アイシテルニイガタ』が流れてくる。原曲は日本のロックバンド、ユニコーンの『I'M A LOSER』。彼らが1988年7月に発表した2枚目のアルバム『PANIC ATTACK』のA面1曲目に収録されている(まだレコードの時代である)。


 今から15年前の2003年、J1昇格を目指していた新潟のあるサポーターが、自分たちのチャントを集めたCD『Localism(ローカリズム)』を製作した。周知のとおり、サポーターのチャントにはさまざまな原曲がある。当時の新潟のメンバーでいうと、ファビーニョが『8時だヨ!全員集合』のオープニング曲、マルクスがTHE BLUE HEARTSの『キスしてほしい』、秋葉忠宏がチェコ民謡の『おお牧場は緑』といった具合。ゴール裏の中心人物の1人であった浅妻信は、これらの楽曲をCDにまとめて、より多くのライトファンに周知してもらおうと思い立つ。もっとも、著作権のことをまるで知らないズブの素人。「今から考えるとかなり無謀でしたよね」と当人は苦笑する。


 ちなみに浅妻は、『アイシテルニイガタ』をぜひともCDに収録したいと考え、関係者を通じて作曲者の奥田民生に許可を求めている。しかし、奥田の回答はノー。理由は「自分は広島県民だから、新潟の応援のために曲を提供できない」というものであったらしい。『ローカリズム』が完成した03年シーズン、サンフレッチェ広島はJ2に所属しており、新潟や川崎フロンターレとともにJ1昇格2枠を懸けた熾(し)烈な戦いを続けていた。古くからのJ2ファンの中には、この03年シーズンの劇的な展開を今でも懐かしむ者も少なくない。


 再び、フクアリにて。1点をリードされていた新潟は、オレンジのユニホームを着たサポーターの声援に背中を押されるかのように反撃に出て、ついに逆転に成功。この日の入場者数1万2078人のうち、実に2000人ほどを占めていた新潟のサポーターは、まるでホームで戦っているかのように歌い続けていた。04年の昇格から14シーズン守り続けたJ1の座を失い、15年ぶりにJ2の舞台に戻ってきた新潟。選手もスタッフもゴール裏の顔ぶれも変わったが、彼らが発する情熱と声量は、かつて「ニイガタ現象」と呼ばれた15年前と何ら変わることはない。

なぜ「サッカー不毛の地」に人気クラブが生まれたのか?

この年のJ2平均入場者数を押し上げた最大の要因は、何と言っても新潟の存在だ
この年のJ2平均入場者数を押し上げた最大の要因は、何と言っても新潟の存在だ【(C)J.LEAGUE】

「Jリーグ25周年」を、当事者たちの証言に基づきながら振り返る当連載。第17回となる今回は、2003年(平成15年)をピックアップする。Jリーグ開幕から10周年となるこの年、J1は岡田武史監督が率いる横浜F・マリノスが両ステージ優勝を達成。前年のジュビロ磐田に続く両ステージ優勝に、ファンの間からも「そろそろ日本のトップリーグも1シーズンにしてよいのではないか」という機運が高まるようになる。


 一方、J2は開幕から5シーズン目を迎え、開幕当初(99年)の10チームから、12チームによる4回戦総当たりとなっていた。特筆すべきは、このシーズンのJ2平均入場者数が7895人を記録していること。7000人台に到達したのは、この年が初めてであり、しかも前年(6842人)から1000人増という急速な伸びを示している。5シーズン目のJ2は、トップリーグを経験しているチームが5チームに増え、ファンのJ2に対するまなざしが変化したことも一因として考えられよう。


 だが、J2の平均入場者数を引き上げた最大の要因は、何と言っても新潟の存在である。この年、新潟の平均入場者数は3万339人。J2はもちろん、J1を含めて最も高い数字をたたき出している(ちなみに、この年の浦和レッズの平均入場者数は2万8855人)。新潟がJ1に昇格した04年以降、J2の平均入場者数が03年の記録を破ることはなかった。一方の新潟は、昇格1年目の04年に3万7689人、05年に歴代最多となる4万114人という驚異的な数字を記録している。


 浦和を3年連続で抑えて、Jリーグナンバーワンの集客を誇るクラブに成長していった新潟。ここで留意しておきたいのが、そのホームタウンは浦和のような「サッカーどころ」ではなかった、ということだ。むしろ「サッカー不毛の地」という枕詞のほうがふさわしい土地だったのである。そんな土地になぜJクラブが生まれ、4万2300人収容の新潟スタジアム(現デンカビッグスワンスタジアム)が建設され、毎試合3万人以上の観客が詰め掛けるようになったのだろうか?


 分かりやすい答えとしては、02年に日本と韓国で開催されたワールドカップ(W杯)で、新潟が会場の1つに選ばれたことが挙げられよう。とはいえ、国際的なビッグイベントを招致して、巨大な競技施設を作れば、その土地に豊かなスポーツ文化が育まれるという単純な話ではない。ビッグイベントが「レガシー」となるには、いくつかの条件が必要だ。そこで今回は、「ニイガタ現象」という言葉が聞かれるようになったW杯開催翌年の03年にフォーカスしながら、当地でのレガシー確立の経緯を探ってみることにしたい。

宇都宮徹壱
宇都宮徹壱

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著はスポーツナビでの連載をまとめた『J2&J3 フットボール漫遊記』(東邦出版)

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