リベロ酒井大祐が引退後の心境を語る 指導者として歩む、第2のバレー人生

米虫紀子

全日本でも活躍した酒井大祐が5月の黒鷲旗で引退。指導者として第2のバレー人生を歩み始めた 【写真:坂本清】

 5月3日、黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会準々決勝の東レアローズ戦をもって、サントリーサンバーズのリベロ酒井大祐は15年間の現役生活に終止符を打った。

 酒井は東海大学からJTに入社し、2006年にプロ選手となった。安定したサーブレシーブと、どこにでも現れて粘り強く拾うディグ(スパイクレシーブ)は際立っていたが、チームは11−12シーズンに入替戦に回るなど低迷していた。その中で酒井は周りを動かし、生かすことの重要性に気付く。相手にとって耳の痛いこともハッキリ言うが、一方通行にならないよう常に周囲に気を配り、歩み寄る。それが14−15シーズンのV・プレミアリーグ初優勝という形で1つの実を結んだ。

 その後、サントリーに移籍し、全日本でも世代交代によって若手が増えたチームを支えた。ひざの痛みなどに悩まされ、かつてほどの守備範囲の広さはなくなったが、コートに入った時の統率力や周囲に与える安心感は抜群だった。

 酒井をそばで見てきたサントリーのリベロ鶴田大樹の言葉は、酒井という選手をこれ以上ないほど言い表している。

「“格”が違う。うまいリベロは他にもいるかもしれないけれど、一番すごいリベロは“酒井大祐”だと思います」

 サントリーのコーチとして第2のバレー人生を歩み始めた「唯一無二の守護神」に、引退の決断や今後のバレー界への思いを語ってもらった。(取材日:6月12日)

自分で辞めるという線引きはできなかったと思う

――最後の試合となった黒鷲旗の東レ戦直後は「悔しさが一番」と話していました。あれから1カ月半ほどたって、違った思いや引退した実感は出てきていますか?

 一番違いを感じるのは、朝起きた時に体が痛くないということ。そこは幸せですね。以前は朝起きて、「あー、この体を動かすのか」というところから1日が始まっていたので。

――どこに痛みがあったんですか?

 膝、腰……もう全部でした(苦笑)。毎日、体調がどうだとか、ここは痛いから気を付けてアップしなきゃとか、そんなことをもう考えなくていいのは大きいですね。今は食べたいものを食べています。

――痛みを抱えながらのプレーとはいえ、まだまだ存在感や周囲に与える安心感は抜群でした。このタイミングで引退を決断された理由を教えてください。

 たぶん、自分でやめるという線引きはできなかったと思うんですよね。誰かに押されないと……。ちょっと燃え尽きているところもあったけれど、試合に出れば負けたくないし、なんだかもう、いろいろな気持ちが常に、毎日半分ずつやってくるという感じでした。

 確かに昨シーズン(17−18シーズン)は、「(今季を最後に)辞めるつもりで1年頑張ろう」と思っていたところもあった。でも勝てない中でも試合を何とかおさめることはできたり、セットを取れていたから、「もっとできるんじゃないか?」と思ったところもありました。

 とはいえ、本当に自分が(チームを)引っ張っているかといえば、先頭に立っているわけではなく、裏でちょいちょいやっている感じだった。以前のようには試合に出られていなかったから。それでもみんな耳を貸してくれたし、結局は言いたいことを言っていたんですけれど、やっぱりコートに入って第一線でやっていた方が、周りの選手には入っていきやすいと思う。そこには葛藤が今までよりもあって、昨シーズンは15年間で一番しんどかった。でも、一番勉強できたシーズンでもありました。

――ご自身で引退を決断したわけではない?

 そうですね、正直に言って悩みました。来シーズンはコーチに、という話をいただいた時、「まだ現役選手としてやっていきたい」という気持ちも残っていましたから(苦笑)。

 でもコーチ兼選手は難しいとなって、他のチームで現役選手を続けるという選択肢を考えたときに、手を挙げてくれるところなんてないだろうと思ったし、やっぱり家族があるから。それに、コーチをいつかやりたいという思いがあったのは事実なので、その場所を提供してくれるのは自分にとって大きかった。いろいろ揺らぎましたが、サントリーへの恩返しだと思ったし、(今季は)ここにいるべき1年だったんだろうなと、今では感じています。

プロに転向した理由、得られた効果

柳田が影響を受けたという酒井(赤)がプロに転向した理由とは?(写真は17年) 【写真:坂本清】

――06年にプロに転向されました。プロ選手になろうと思ったのはなぜですか?

 子供のころから、「いつかバレーで飯を食ってみたい」という夢があったのと、社員という立場よりもストイックにできるかな、という思いもありました。自分の性格だと思うのですが、なんか立ち位置が中途半端だと感じていて、「あとがない」みたいな感じの方がいいと思ったんです。

――プロになって何が変わりましたか?

 意識は変わったと思います。毎年、自分の評価が金額で分かってしまうから。シビアになったというか、ガツガツしていましたね、若いころは。勝ちたかった。だけどやり方がヘタクソで無鉄砲でした。「嫌われようがどうでもいい」と思って突き進みまくっていたので、上の人からは「こいつ、うるせーな」と思われていただろうし、下からも「めんどくせー先輩だな」と思われていたと思います。

――17年にプロになった柳田将洋選手が、影響を受けた選手として酒井さんの名前を挙げています。「酒井さんは自分以外の人にも時間を割いて、自分が動きやすいように他の人も動かす、それがうまい」と話していました。ガツガツ突き進んでいた頃の姿とは違いますよね。

 そうですね、変わりましたね。ちょうどJTで限界を感じていた時に、深津(旭弘)に「雰囲気を悪くしているのは酒井さんじゃないですか」みたいなことを言われたんです。その時は「こいつ、何言ってんだ、生意気だな。まず試合に出てから言えよ」と思ったんですけれど(笑)、それがきっかけになりました。

 このままではダメだと行き詰まっていたタイミングで、あいつに言われて道が開けた。それまでは「仲良しこよしで勝てるわけない」と思っていたし、独り相撲で、周りが乗っかってきてくれるように働き掛けることもしていなかったですからね。

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著者プロフィール

大阪府生まれ。大学卒業後、広告会社にコピーライターとして勤務したのち、フリーのライターに。野球、バレーボールを中心に取材を続ける。『Number』(文藝春秋)、『月刊バレーボール』(日本文化出版)、『プロ野球ai』(日刊スポーツ出版社)、『バボちゃんネット』などに執筆。著書に『ブラジルバレーを最強にした「人」と「システム」』(東邦出版)。

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