ジダンが退団を決意したいくつもの理由 レアルの後任探しは困難な挑戦に

大きな衝撃をもたらしたジダンの退団

ジダン監督のレアル・マドリー退団は、近年最も大きな衝撃をもたらした 【写真:ロイター/アフロ】

 ジネディーヌ・ジダンのレアル・マドリー退団は、近年最も大きな衝撃をもたらしたニュースの1つだ。それは多くのファンにとって寝耳に水の出来事であり、来季も彼の指揮下でさらなる黄金期を築いていくものと考えられていた。

 だが、クラブ内で日々の動向を見聞きしている人々、役員からコーチングスタッフ、選手たちに限っては、全くもって想定外のニュースだったと言うわけにはいかないはずだ。彼が退団を決意する過程では、クラブとの間に何らかの問題が生じたとも考えられる。いずれにせよ、確かなのはジダンが会見を開いて退団を明言したことで、来季へ向けた見通しが不透明になったという事実だけだ。

 バルデベバスの練習場でジダンの退団会見に同席したフロレンティーノ・ペレス会長は、見るからにショックを隠し切れない様子だった。無理もない。彼はクラブでも自身が経営する会社でも、首を切ることには慣れていても辞表を受け取ることは滅多にないのだから。

 そんな会長のすぐ横でジダンは、ペレスには肯定し難い意見を口にした。チャンピオンズリーグ(CL)3連覇をもって全てをよしとしたマドリディスモ(マドリー主義)に反論するかのように、監督の評価基準とすべき最も重要な結果は国内リーグだと主張したのである。

 ジダンはフランス人だが、イタリア産の監督である。選手として輝かしいキャリアを築いたユベントス時代に戦術のいろはを学んだ彼は、シーズンを通して安定したパフォーマンスを維持しなければリーグタイトルを勝ち取れないことをよく知っている。だが、CLは違う。レアル・マドリーが3連覇を成し遂げた最大の要因は、ライバルやレフェリーのミスを最大限に生かしたからだった。

C・ロナウド、ベイルが退団の可能性を示唆

C・ロナウド(左)はCL決勝後、レアルでプレーする最後の一戦だと解釈できるコメントを発した 【写真:Maurizio Borsari/アフロ】

 トップレベルでの指導経験はレアル・マドリーを指揮した2シーズン半のみながら、既にジダンは多くを学んできたように見える。メディア対応は非の打ちどころがなかったし、ガレス・ベイルを除く全ての選手が彼との別れを惜しみ、何らかのメッセージを発したことが全てを物語っていた。

 そんなジダンに退団を決意させた理由の1つは、キエフで13回目の欧州制覇を果たした直後に生じた。試合後にピッチ上でインタビューを受けたクリスティアーノ・ロナウドが、この試合がレアル・マドリーでプレーする最後の一戦だと解釈できるコメントを発し、ロッカールームの祝勝ムードに水を差したのである。

 C・ロナウドは過去にも退団をほのめかしたことがあるが、それはあくまでも契約交渉における戦略の1つだった。だが、今回のそれは意味合いが違う。彼は来季、脱税を訴えられているスペイン国税局との訴訟問題が大詰めを迎える。もちろんジダンはそのことを理解していた。

 ベイルもそうだ。それまで1カ月近くにわたって素晴らしいパフォーマンスを維持しながら、キエフの決勝で先発落ちしたウェールズ代表ストライカーは、2ゴールを挙げてマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた後に「毎週末プレーできないのであれば代理人と話し合う」と移籍の可能性を示唆した。それは自分よりイスコやマルコ・アセンシオ、ルーカス・バスケスらを好んで起用してきたジダンに対する挑戦に他ならなかった。

 理由は他にもある。例えばジダンが一貫して「GKはいらない」と主張してきたにもかかわらず、ペレスが今回のCL優勝にも大きく貢献したケイロル・ナバスのライバルとなる新たなGKを獲ろうとしていること。ペレスはバイエルン・ミュンヘンのロベルト・レバンドフスキを獲得すべく、やはりジダンが擁護してきたカリム・ベンゼマも放出しようとしている。ペレスの旧友であるイスラエル人のピニ・ザハビがレバンドフスキの新たな代理人になったのも偶然ではない。

 ジダンは来季のチームに対する意見も包み隠すことなく、チームが新たなモチベーションを見いだすためには新たな監督が必要だと明言していた。CL優勝によって丸く収まった印象が残っているが、ラ・リーガと国王杯での失態は1つのサイクルが終わりを迎えたことを雄弁に物語っていたのだ。

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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