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福永祐一がダービーを勝てた3つの理由
キングヘイローから20年、全ては必然に
福永祐一、涙のダービー制覇……その裏には3つの理由があった
福永祐一、涙のダービー制覇……その裏には3つの理由があった【写真:有田徹】

 天才2世の涙のダービー制覇を12万観衆が見届けた。第85回日本ダービー(東京芝2400メートル)は5月27日に選ばれし18頭が出走。福永祐一騎手(41)が騎乗したワグネリアン(牡3=友道)が真価を発揮し、同世代6,955頭の頂点に立った。初騎乗から20年、19度目の挑戦でつかんだダービージョッキーの称号。その裏には3つの理由があった。

20年前の検量室、顔面蒼白になった美少年がいた

 あれからもう20年か……。ピンク帽にゼッケン17番。夢でも幻でもない。大レースで見慣れた勝負服が1着でゴールするのを確認した私は検量室に急いだ。あのユーイチが勝った。関係者、報道陣であふれかえる中、誕生したばかりのダービージョッキーは紅潮した顔で引き上げ、調教師、馬主と熱い抱擁をかわした。


「最後はもう気合。周りを見ないように、無我夢中でした。いまの気持ちをうまく表現できませんが、やっぱりダービーは特別でした」


 すべては、この瞬間のために。その顔は達成感に満ちていた。


 いつだって、検量室には悲喜こもごものドラマが詰まっている。振り返ると、1998年日本ダービーのこの場所には顔面蒼白になった美少年がいた。彼がコンビを組んだのはキングヘイロー。父は凱旋門賞を鬼脚でぶっこ抜き、80年代世界最強といわれたダンシングブレーヴ。母は米7冠の歴史的名牝グッバイヘイローという超のつく良血という点も人気に拍車をかけた。

1998年の牡馬クラシック、デビュー3年目の21歳・福永は素質馬キングヘイローとのコンビで皐月賞2着(写真右)、ダービーも大きな期待を集めていた
1998年の牡馬クラシック、デビュー3年目の21歳・福永は素質馬キングヘイローとのコンビで皐月賞2着(写真右)、ダービーも大きな期待を集めていた【写真は共同】

 その背中にデビュー3年目の福永がいた。クラシック1冠目の皐月賞は満点騎乗で2着。「洋一の息子にオヤジの取れなかったダービーを」。天才騎手だった父・洋一さんが落馬事故でターフを離れて、このときまだ19年。オールドファンの支持も集め、2番人気になっていた。


 しかし、レースでは前後不覚に陥った。初めて体験するダービーの重みと高揚感。21歳の福永は初陣に臨む若武者のように舞い上がり、図らずも1コーナーで先頭へ。デビュー以来逃げたことのないパートナーにもはやる気持ちが伝わった。


 あるファンは期待した。「これが洋一譲りのマジックだ」と。しかし、直線入り口でそれがはかない願望だったことに気づく。「頭が真っ白になった」「なぜかスタートして仕掛けてしまった」「直線は穴があったら入りたい気持ちだった」。最後はバタバタになり、勝ち馬から2秒6も離され14着惨敗。「デビュー間もないころ、あんな有力馬に騎乗させてもらい、緊張感に飲み込まれる経験をしたのもダービーでした」と41歳となった福永は振り返った。


 このとき、勝ったのがスペシャルウィークだった。29歳の武豊にとっては記念すべき日本ダービー初制覇となり、その後前人未到のダービー5勝というキャリアにつなげていく。

ダービーへ集中、ナーバスではなく自然体

 その間、福永も負けないほどのチャンスをつかんできた。98年以降でダービーで騎乗していないのは落馬負傷で乗れなかった99年と騎乗馬がいなかった2002年の2回だけ。今年16年連続で騎乗した。07年に伏兵アサクサキングスで2着。栄光は近いと感じさせた。だが、12年の1番人気ワールドエース(4着)、13年の3番人気エピファネイア(2着)、15年の2番人気リアルスティール(4着)とここ数年は毎年のように有力馬を任され、期待に応えられなかった。


「正直もう勝てないんじゃないか。調教師になって勝つしかないかなと思ったほど」


 しかし、これらすべてが肥やしになり、機は熟していった。では、いままでとどこが違ったのか。今回大きかったのは報道が過熱しなかったことが挙げられる。記者クラブとJRAが用意する3枠のGI代表会見はダノンプレミアム、エポカドーロ、サンリヴァル陣営。皐月賞1番人気のワグネリアン関係者はお役御免となった。


 例年だと福永自身もサービス精神を発揮し、テレビや雑誌などに積極的に露出していたが、今年はあえて自重していた。テレビ関係者も「今年の福永さんは違う」と早くから出演を断られ、半ば嘆き気味。この点を本人に尋ねると「ちょうど、その時期にもうひとり生まれるから」と話していたが、日本ダービーへ集中した気持ちがひしひしと伝わってきた。とはいえ、ナーバスになっていたのではなく自然体だった。

山本智行

やまもと・ちこう。1964年岡山生まれ。スポーツ紙記者として競馬、プロ野球阪神・ソフトバンク、ゴルフ、ボクシング、アマ野球などを担当。各界に幅広い人脈を持つ。東京、大阪、福岡でレース部長。趣味は旅打ち、映画鑑賞、観劇。B'zの稲葉とは中高の同級生。

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