次の四半世紀へ歩み出したJリーグ ワークショップで示した新たな方向性

宇都宮徹壱

社会貢献のきっかけとなった中村憲剛との対談

中村憲剛と村井チェアマン。Jリーグの社会貢献は両者の対談がきっかけ 【宇都宮徹壱】

 それにしてもなぜ、Jリーグは社会貢献へとかじを切ったのか? 実は今年1月、村井チェアマンにインタビューした際にも「25周年を契機に社会貢献をやりたい」という話をちらっとしていた記憶がある。そのきっかけとなったのが、2年近く前に行われた中村憲剛との対談。中村が所属する川崎フロンターレは、震災を機に交流が始まった陸前高田でのチャリティーイベントの事例を挙げながら「クラブが個別に取り組むだけじゃなくて、もっとJリーグとも一緒にやれないでしょうか?」と提言している。

 それに対してチェアマンは、「健康」「教育」「国際交流」「産業振興」「街づくり」という5つの問題に対して、「Jリーグがプラットフォームになってアイデアを募り、53クラブ(当時)と力を合わせて全国で取り組めないか」検討していることを語った。この時はまだ、単なるアイデアレベルだったのかもしれない。しかし翌17年の暮れ、村井チェアマンは単身、ブラジルのリオデジャネイロを訪れ、Jリーグ黎明期に現役選手として人気を支えた、元ブラジル代表のジーコ氏によるチャリティーマッチを視察している。

 ジーコ氏のチャリティーマッチがユニークだったのは、賛同者がそれぞれ1キロの食料を持ち寄り、それを地域の困っている人たちに分配する形で始まったことだ。その後、賛同者の数は回を重ねるごとに増えていき、ついにはW杯決勝が行われたマラカナン・スタジアムで行われるまでになったという。ただし主催者であるジーコ氏は、貴賓席でゲームを眺めていたわけではない。自らユニホームを着て90分プレーし、試合後は丁寧なファンサービスとメディア対応まで行っている。そうした真摯(しんし)な姿を見て、村井チェアマンが大いに感銘を受けたことは言うまでもない。

「あのジーコがそこまでしていることは、もちろん素晴らしい。だけど、市民が自分たちで食材を持ってジーコのもとに集まり、街を良くしていくという感覚が同時にあったからこそ、実現できたことだと思いました。地域には、いろいろな社会課題を解決しようとして、懸命になっている方がいらっしゃいます。ブラジルでジーコがそうしたように、われわれも門戸を開いて『Jリーグを使おう!』という発想から、この運動を始めようと思った次第です」(村井チェアマン)

初代チェアマンの涙と次の四半世紀に向けて

「25年前は、Jリーグが社会貢献できるなんて……」と涙ぐむ川淵氏 【宇都宮徹壱】

 かくして、4時間にわたるワークショップが終わった。54のテーブルで出されたアイデアのうち、米田理事が「個人的に興味が惹かれた」ものは、以下の3つ。全国のJクラブが農家をサポートして、農産物をスタジアムだけでなく一般にも流通させようという「J農」(川崎)。宿題がある子供たちを試合前に集めて、学習する場を設ける「頭が良くなるスタジアム」(グルージャ盛岡)。高齢者や障害者も参加できる「ウォーキングフットボール」(横浜F・マリノス)。それぞれテーブルの代表者がコンセプトを説明して、会場から拍手を送られていた。

 いずれもJリーグのネットワークとナレッジを駆使すれば、それほど時間をかけずに実現できそうなアイデアばかりである。とはいえ、今回のワークショップでのアイデアや熱量が、その場限りのもので終わってしまっては意味がない。主催者側も、その点はきちんとわきまえていて、今後は「地域版のワークショップを開催していく」こと、そして「社会連携プラットフォーム構想を2018年中に作る」ことが米田理事から発表された。あくまでも今日がキックオフ。ただし、そのキックオフが「Jリーグ25周年」を祝うタイミングで行われたことに、「次の25年」に向けての明確な意思を読み取ることができる。

 それを一番に感じ取っていたのは、ゲストのひとりとして招かれていた初代チェアマンの川淵三郎氏であろう。最初は「4時間もあるの? そんな長いこと居られないよ」と思っていたそうだが、終わってみれば「あっという間だった。それだけ中身の濃い話をしてもらった。本当に有意義な会だった」と感動した様子。ワークショップの終盤、村井チェアマンに促されて登壇した川淵氏は、ふいに感極まった表情を浮かべながら「25年前は、Jリーグが社会貢献できるなんて……想像もしなかった」と語り、再び会場は大きな拍手で包まれた。Jリーグを立ち上げた当事者としては、まさに感無量だったことだろう。

 今から25年前、日本サッカーの普及と競技レベルアップを目指すべく、Jリーグは産声を挙げた。「全国でスポーツが楽しめる環境づくり」という初代チェアマンが打ち出したスローガンは、当時の日本にはなかった発想であり、その意味でもJリーグは「新しいムーブメント」であった。その後、一時的なブームは去ったものの、「地域密着」や「地域貢献」といった概念が加味されることで、Jリーグは地域により身近なものとなっていった。今のJリーグに、25年前のような華やかさや注目度を期待するのは、難しいかもしれない。それでも次の四半世紀を展望した時、閉じた組織の中で25周年を祝うのでなく、サッカーに関心のない層にも「Jリーグを使おう!」と呼び掛ける判断に間違いはなかったと思う。2018年5月14日は、もしかしたらJリーグの「新たなバースデー」となるのかもしれない。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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