被災地の子どもたちをブラジルに! ちょんまげ隊の壮大なW杯プロジェクト

宇都宮徹壱

今も続くツンさんの被災地支援活動

「牡鹿半島の子どもをブラジルW杯に招待し隊プロジェクト」を企画した、ちょんまげ隊長のツンさん(右) 【(C)ちょんまげ隊】

「どう? 準備は進んでる?」

 6月12日(現地時間)のブラジルワールドカップ(W杯)開幕まで2カ月を切り、同業者とそんな言葉を交わすことが多くなった。SNSでも、先月くらいからチケットや宿泊に関する情報がひんぱんに飛び交っている。いよいよ目前に迫ったW杯に向けて、メディアもファン・サポーターも具体的な準備を加速させている中、実に破天荒なプロジェクトをスタートさせた御仁を紹介することにしたい。ちょんまげ隊長のツンさんである。

 ちょんまげのカツラにプラ板の甲冑スタイル。日本代表の試合では国内外問わず出没し、よくテレビの中継映像でもその姿がカメラで抜かれているので、ご存じの方も少なくないだろう。目立つ衣装ゆえ、4年前のW杯でもFIFA(国際サッカー連盟)のテレビスタッフから取材を受け、その勇姿が世界中に配信された。いわば「キワモノ系サポーター」の代表格というイメージが強いツンさんだが、実は3年前の震災での東北被災地支援、および活動内容の「報告会」を継続的に行っていることでも知られている。

「この間、数えてみたら東北には(この3年間で)56回行きました。そのうち牡鹿半島には約半分の25回。それと報告会は、今年だけで30回は開催しましたね。(AFC U−22選手権が行われた)オマーンに行った時には、その周辺国のカタールとUAEにも足を伸ばして2週間に11回。あとは、シンガポール、プノンペン(カンボジア)、上海(中国)、台湾でも開催しました」

 ちなみにツンさんは、これら海外での被災地支援報告会をほとんど自腹・ノーギャラで続けている。飛行機は格安航空券をフル活用し、宿泊はホテルを極力使わずに現地在住の協力者にお世話になっているという。「それこそプライベートビーチがあるような豪邸から、二段ベッドのある子ども部屋まで、いろんなところに泊めてもらいました」と屈たくなく笑うツンさん。そんな彼が今、ブラジルでの本大会に向けて情熱を傾けているのが、「牡鹿半島(宮城)の子どもをブラジルW杯に招待し隊プロジェクト」である。プロジェクトの内容は、名称そのまま。それにしても、なぜ「牡鹿半島の子ども」を「ブラジルW杯に招待」なのか。一見してあまりにミスマッチに思える結びつきについて、さっそく本人に説明してもらおう。

なぜ牡鹿半島なのか?

 牡鹿半島は三陸海岸の最南端に位置し、仙台から石巻線とバスを乗り継いで、ようやく辿り着くことができる。太平洋を臨むリアス式海岸は豊かな漁場となっており、春夏はウニ、秋冬は牡蠣(かき)が名物。まさにドラマ『あまちゃん』の世界観である。3年前の震災では、半島が東南東におよそ5メートル移動したことが国土地理院の調査で判明。いかに苛烈(かれつ)な被害を受けていたか、この数字からも容易に理解できよう。しかも牡鹿は石巻からも遠いため、震災後の支援活動から取り残されていたとツンさんは語る。

「とにかく公共交通機関が限られている上に、鉄道も走っていない。仙台からだと(車で)往復5時間かかります。いくら熱意のあるボランティアでも、よほどガッツがないと行ける距離ではないのです。ですからどうしても、石巻とか南三陸とか気仙沼とか、比較的アクセスしやすいところにボランティアが固まってしまう。だったら僕たちが支援をしよう、ということでご縁が生まれました」

 最初は物資の調達からスタートした支援は、やがてサッカーを絡めた活動へと発展していく。ベガルタ仙台のホームゲームの観戦バスツアー。ブラインドサッカー日本代表選手を招いての体験教室、そしてユアテックスタジアム仙台でのチャリティーマッチや宮城スタジアムでの日本代表戦の観戦ツアーなど。目的は、子どもたちを笑顔にすることで、その親たちも元気づけることである。ただし、これらの観戦ツアーも、日本サッカー協会やJリーグの支援を受けず、バスのチャーターから引率までのすべてを独自で行っている。そこには、ある切実な理由があった。

「実は牡鹿って、サッカー界のネットワークから漏れてしまっているのです。もし地元にスポーツ少年団やサッカー部があれば、選手が来てくれたりチャリティーマッチのチケットがもらえたりするのでしょうけど、牡鹿には中学校がひとつしかなくて、しかもそこにはサッカー部がない。これまで牡鹿に来てくれた選手は、僕が聞いている限りではサンフレッチェ広島の佐藤寿人選手だけ。ですから牡鹿に縁のある僕らが、草の根でやっていくしかないんです」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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