目標はU−17代表監督時代と変わらない 吉武博文が今治で描くビジョン<前編>

宇都宮徹壱

FC今治2018方針発表会での記念撮影。岡田オーナーの隣で微笑む吉武監督(前列右から2番目) 【宇都宮徹壱】

「ゴミ出しはオレがするから、お前はピッチに専念しろ!」

 1月29日に行われた、FC今治2018方針発表会で、個人的に最も印象に残っている言葉である。

「オレ」というのは岡田武史オーナーで、「お前」というのは吉武博文監督。両者は今治では同じ家で暮らしていて、文字通り寝食を共にしている。おそらく家族を除けば、吉武監督が最も岡田オーナーと同じ時間を共有しているのは間違いない。と同時に、最大限のプレッシャーを受けているのも、間違いなくこの人だろう。「ゴミ出しはオレがするから、お前はピッチに専念しろ!」という言葉の裏には、「今季こそはJ3昇格という結果を出せ!」という、オーナーとしての絶対的な要求を感じ取ることができる。

 岡田オーナーの存在感が、今なおクローズアップされることが多い今治。だが、吉武監督がこのクラブで重要なポジションを占めていることは明らかだ。現体制となった1年目の2015年はメソッド事業部長に就任。翌16年はトップチームの監督なり、今治を四国リーグからJFL昇格に導いた。チームを率いて3シーズン目となる今季は、J3昇格が至上命題となっており、まさに正念場の1年となる。

 方針発表会終了後、吉武監督にじっくりお話をうかがう機会を得た。過去、2回のU−17ワールドカップ(W杯)で指揮を執り、11年大会はベスト8、13年大会でもベスト16という結果を残したことは周知のとおり。また、個々の選手がさまざまなポジションをこなし、誰が出場してもプレーモデルが不変というスタイルは、現在の今治でのチーム作りにそのまま直結する。とはいえ、U−17W杯から四国リーグへの転身が何を意味するのか、当初はなかなか理解しづらいものがあったのも事実である。

 吉武監督の行動原理を理解する上で、ヒントとなりそうな経歴がある。それは92年から95年までの3年間、チェコのプラハで日本人学校の教師をしていたことだ。吉武監督の過去のインタビューをいくつか当ってみたが、実はこの時代に関する言及はほとんど読んだことがない。このチェコ時代に、重要な契機があったのではないか? そんな仮説を準備して、インタビューの場に臨んだ。(取材日:2018年1月29日)

昨シーズンのベストの試合とワーストの試合

 昨シーズンの目標としては「J3昇格」ということで、そのための条件がいくつかあったわけですが、自分たちの戦力でそれが本当に可能だったのかについては、それは神様にしか分からないと思います。四国リーグからJFLに上がるということで、選手の入れ替わりもありましたし、JFLでの戦いに見合う補強をしたつもりです。(四国リーグとの)ギャップがあったとすれば、肉体的な強さとか、持久力だとか、速さだとか、そういったところがJFLは違っていましたね。もちろんわれわれは、フィジカルを前面に押し出すようなサッカーをするわけではないのですが、だからといって軽視しているわけでもないです。

 昨シーズンの評価すべき点としては、全国リーグというものを経験できたということ。(アウェーの場合)長い距離を移動して前日入りして、いろいろなチームに対して自分たちのやり方で、勝ったり負けたりではありましたけれど勝利を目指そうとしたこと。これはすごい成果だったんじゃないかと思っています。逆に課題としては、良い時の状態が続いていかない、ということですね。もっともそれは、われわれだけの問題ではないとも感じています。サッカーの世界ではよくあることなので、そういう意味ではウチは「並のチームだったのかな」とは思いますけどね(苦笑)。

 去年のベストの試合ですか? 僕はいい試合をしていたら負けるとは考えていないし、いい試合をしたのに負けたのであれば、負けるだけの理由があると思っています。一方で、目指しているものを出せたかどうかというのも重視していて、その意味でベストの試合だったのは最終節のHonda FC戦(0−0)。引き分けではあったのですが、内容を含めていろいろ考えて、あれが一番良かったのかなと思っています。逆にワーストの試合ということで言うと、アウェーでの開幕戦(流経大ドラゴンズ竜ヶ崎戦、2−2)。ある意味、この1年間(の悪いところ)を凝縮したような試合でしたね。

 ます立ち上がりの失点がいけなかった。自陣でGKにボールを下げて、そのまま相手にプレッシャーをかけられて失点してしまった。相手どうこうではなく、明らかに自分たちのミスですよ。それから75分をかけて、自分たちがずっとトレーニングしてきたことをじれずに続けながら、ようやく2−1に逆転できました。そこまでは評価できます。けれども本当だったら、3−1にできる試合の流れだったし、あるいは4−1で終わらせることもできたんです。それを可能にするために、ポゼッションやプログレッションなんでしょう、と。ボールを持ってなんぼのチームが、最後の最後で(ボールを奪われて)同点で終わってしまった。あれはワーストというより、昨年を象徴するようなゲームでしたね。

「サッカーが文化にならないと日本は強くならない」

試合中の吉武監督。指導者になってからずっと「言っていることは変わらない」という 【宇都宮徹壱】

 これはあまり語ってこなかったことなんですが、大分の中学でサッカー指導者をしてからJFAの仕事をするまでの間、チェコのプラハで3年間、現地の日本人学校の教師をしていたことがありました。それが92年から95年で、最初の年はかろうじて「チェコスロバキア」でしたね。向こうに行ったのは、自分の希望でした。3回希望を出して、やっと3回目に認められたんです。チェコというのはたまたまで、本当は南米に行きたかったんですけれど(笑)。とにかく一度、海外で生活をしてみたいという願望がありました。

 チェコで暮らしていた頃、サッカーに関してはそんなに影響は受けたとは思っていません。むしろ僕が強く感じたのは「文化」でしたね。チェコでは、スポーツも芸術も、同じ「文化」として生活に根ざしているんですよ。劇場でオーケストラや人形劇を鑑賞したり、サッカーだけでなくテニスやホッケーを観戦したり、そういったことが特別なイベントではなく日常的なんですよ。当時のチェコの人たちの平均月収は、だいたい3万円くらいだったと思います。でも日本人と比べると、経済的に苦しいはずのチェコ人のほうが、生活にゆとりが感じられるんですよね。普通に別荘を持っているし、バカンスもある。

 僕自身はチェコに行ったからといって、何かが変わったわけではない。当時の教え子に聞いたら分かると思いますが、サッカーの指導を始めた24〜5歳から今日まで、基本的に言っていることは変わっていない。ただ、向こうで「文化」に触れたことは大きかったですね。そして「サッカーが文化になっていかないと日本は強くならない」ということは切実に考えるようになりました。W杯で優勝するような国は、基本的にはサッカーが文化になっている国です。日本もいつかはW杯で優勝するかもしれないけれど、それが刹那的なものであってはならない。われわれ指導者は、恒久的な力として日本がW杯優勝を狙えるようにしていくことが目標です。そのためにはサッカーを文化にしていく必要がある。

 私が今、今治で岡田さんとやっていることも、まさにそういうことなんですよ。日本全体ではなく、まず今治という限定的な地域から変えていこうと。とても夢のあるプロジェクトだからこそ、ものすごくやりがいを感じています。もちろん、まだまだ道半ばですよ。新しいスタジアムを作ったり、道路を整備したりしていますけれど、サッカーが生活になくてはならないものだったら、そんなに集客の努力をしなくてもお客さんは集まってきますよ。ただ一方で、ウチの練習試合にも1400人のお客さんが来るようになりました。このカテゴリーでは、なかなかないことだと思います。そういう意味では、われわれの努力によって、少しずつではあるけれど文化になりつつあるのかなと思っています。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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