初のJFLを戦う人口6700人の町民クラブ 「3.11」開幕戦に臨むコバルトーレ女川
設立から12年、最も小さな自治体のクラブが全国へ
1月9日、コバルトーレ女川のメンバー20名が集まり、雪の中で今年最初の練習を行った 【宇都宮徹壱】
昨シーズン、悲願のJ3昇格を果たせなかったヴァンラーレ八戸(昨シーズン5位)やFC今治(同6位)といったクラブにとり、JFLという舞台は「できるだけ早く卒業したい」という思いのほうが強いだろう(優勝戦線には絡めなかったものの、J3ライセンスを持っている奈良クラブもまた同様のはずだ)。その一方で、初めての全国リーグの舞台に立てることに、地元をあげて盛り上がっているクラブもある。今回フォーカスするコバルトーレ女川は、まさにその典型例と言える存在だ。
クラブが設立されたのは2006年。同じ年、2つのチームが合併してヴァンラーレ八戸も誕生しているが、彼らのスタートは東北リーグ2部北だった。これに対し、コバルトーレはさらに2つ下の石巻市民リーグを起点としている。ちなみに八戸は、14年のJ3創設に伴うJFL再編で地域決勝(地域CLの前身)を経ずにJFLに昇格。それに対してコバルトーレは、市リーグから宮城県リーグ、さらに東北2部南と1部を経て、設立から12年目に自力で全国リーグに到達したのである。
もうひとつ特筆すべきことがある。それはホームタウンである女川町の「小ささ」。何と、人口わずか6700人の小さな港町なのである。今治も小さな自治体をホームとしているが、それでも人口は約15万8000人。桁が2つ違う。過去にJFLに所属したクラブの中で、最もミニマムなホームタウンを出自としているのが、コバルトーレ女川というクラブだ。人口6700人の市民クラブはなぜ、全国リーグに到達することができたのか。その謎を探るべく、今年1月に現地を取材した。
活動を断念した11年と「ラッキーな必然」で昇格した12年
震災から3カ月後の女川港付近の光景。この年、コバルトーレは1年間の活動休止を決定 【宇都宮徹壱】
「あの時は本当に『サッカーどころじゃない』というのが実際でしたね。選手たちも支援活動に没頭せざるを得なかったし、サッカーがやれる場所もなかった。選手寮も全壊して、ユニホームもボールも流されてしまったわけですよ。だから、1年間は活動しない。外に出てサッカーを続けるか、ここで1年間待つか。自分たちで決断してくれと選手には言いましたね」
震災から2カ月後の5月15日、東北リーグは開幕。だが原発事故の影響を受けて、福島ユナイテッドFCを除く福島県のクラブは1年間の活動を停止している。他の東北5県で、リーグ戦の参加を断念したのはコバルトーレのみ。ちょうどこの頃、私はJFA(日本サッカー協会)復興支援特任コーチだった加藤久氏の案内で、女川を訪れる機会があった。がれきの山となった女川港の光景は確かにショッキングであったが、一方で印象的だったのが、コバルトーレが使用していた女川町総合運動公園が自衛隊の駐屯地になっていたことだ。近江代表の「サッカーどころじゃない」という言葉も、当時の現地の様子が目に焼き付いているので、十分に理解できる。
結局、11年は地域の支援活動に専念したクラブは、翌12年に東北リーグ2部南で活動を再開。この年は2位に終わり、1部昇格を懸けた2部北2位の八戸とのプレーオフに敗れている。ところがこの年、福島Uが地域決勝で2位となり、JFL昇格を果たしたことで、女川の1部昇格が決まった。「あの年、もし1部に復帰できていなかったら、クラブの存続は難しかったかもしれない。ラッキーといえばラッキー。そういうラッキーな必然が、このクラブにはときどき起こるんです」と近江代表。かくして13年より東北1部に返り咲いたコバルトーレは、強豪との対戦を繰り返す中で徐々に力をつけていき、16年には初優勝。17年には連覇を果たし、さらにJFLへの道をも切り開いた。