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プロデビューから2年半、際が感じた成長
トゥエンテとの再戦で得た自信と伸びしろ

必死だったルーキーイヤー

プロデビューを果たした当時、際は必死にプレーするので精いっぱいだった(写真は2015年)
プロデビューを果たした当時、際は必死にプレーするので精いっぱいだった(写真は2015年)【Getty Images】

 ファン・ウェルメスケルケン際がプロデビューを果たしたのは2015年5月10日、オランダ1部リーグ第33節のトゥエンテ対ドルトレヒト戦だった。日本の高校を卒業し、単身オランダに乗り込んで、ドルトレヒトのリザーブチームの一員として2年間、実力を磨いた際は新シーズンへの期待も込められ、14−15シーズンの終盤にトップチームで先発出場する機会を得たのだ。


「ヘスス・コロナ(メキシコ代表)はうざかった」。際は、後にデビューマッチをそう振り返っていた。


 プロとしてルーキーイヤーの15−16シーズンの際はまだ、2部リーグの試合に出て、必死にプレーするので精いっぱい。左右のサイドバック、MF、ウインガーと、与えられたポジションをとにかく必死でこなした。


 当時の際を見ていて感じたのが、彼は一歩下がったら二歩進み、二歩下がったら三歩進むタイプの選手であること。まだまだプロとして足りていないことが多かった際は、何度かレギュラーのポジションを失ったが、必ず課題を克服してパワーアップしてレギュラー復帰を果たすことを繰り返していた。


 プロ2年目の16−17シーズン、際はプレーが安定し、ドルトレヒトの中心選手になった。チームは19位と危うく3部に降格するところだったが、際の個人的な評価は上がり、ある2部のクラブからは「うちの強化プロジェクトに参加してほしい」とオファーが来ていた。そして、今季から際はオランダ2部リーグの中では上位クラブのカンブールにステップアップした。

2年半ぶりに敵地でトゥエンテと対戦

2年半ぶりにトゥエンテと再戦。際(右)は右ウイングバックでプレー
2年半ぶりにトゥエンテと再戦。際(右)は右ウイングバックでプレー【Getty Images】

 1月30日、カンブールはKNVBカップ準々決勝を、トゥエンテと敵地で戦った。つまり、およそ2年半ぶりに際はデ・フロルーシュ・フェステ(トゥエンテのホームスタジアム)のピッチに降り立ったのだ。この試合を「どれぐらい自分が成長したのか測れる試合ですね」と、際は試合前から楽しみにしていた。


 カンブール、トゥエンテ共に、普段の4−3−3ではなく5−3−2を採用したこの試合、右ウイングバックを務めた際は、チェルシーが保有権を持つチリ人左ウイングバック、クリスチャン・クエバスとマッチアップしつつ、2トップの一角、ウサマ・アサイディもケアした。


 クエバスにボールが入ったら、すぐに際がプレスをかけにいく。それがミーティングで確認した決まりごとだった。しかし、際がクエバスに食いつくと、その裏のスペースを突いてアサイディが走り込み、そこから仕掛けられてしまった。そこで、際は試合中にチームメートと話し合って「クエバスがうちの陣地に入ってから、奪いにいこう」とやり方を変えることができた。


 際とクエバスとのマッチアップは、ほぼ互角。際が何度かクエバスをドリブルでかわすシーンもあったが、チームが受け身に回ったこともあって、際のパスコースが限定されてしまい、なかなか効果的なプレーにまでつながらなかった。


「今日は2、3回うまく15番(クエバス)をかわして前を向くことができたけれど、選択肢がまったくなかった。ジュピラーリーグ(2部)だったら、もう少し自分で前に運ぶことができますが、エールディビジ(1部)のクラブは抜かれた選手が戻ってプレスに来ますし、前からもプレスが来ました。だから抜いた後、すぐにプレーできるところがなくて厳しかった」

中田徹
中田徹

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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