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際が語るドルトレヒトでの充実のシーズン
2020年に向け、オランダと日本の架け橋に
オランダ2部リーグを戦い終えた際に、この1年を振り返ってもらうとともに、ホストタウン事業への取り組みについても語ってもらった
オランダ2部リーグを戦い終えた際に、この1年を振り返ってもらうとともに、ホストタウン事業への取り組みについても語ってもらった【中田徹】

 2020年開催の東京五輪・パラリンピックに向けて「ホストタウン構想」が日本の事業として全国に広まっている。以下、首相官邸ホームページからその概要を引用する。


「2020年の大会開催に向け、スポーツ立国、グローバル化の推進、地域の活性化、観光振興等に資する観点から、参加国・地域との人的・経済的・文化的な相互交流を図る地方公共団体を『ホストタウン』として全国各地に広げる」


 オランダのホストタウンは、郡山市(福島県)、さいたま市(埼玉県)、流山市(千葉県)、高知県、佐賀県・嬉野市が登録されている。郡山市はライデン市の「ジャパンマーケット」に参加し、かつてオランダ大使を務めた東郷和彦氏の講演会、オランダの文化に触れる「オランダ・フェースト(祭り)」など、多くのイベントを開催している。


 6月24日には「郡山市ホストタウン交流事業」の一環として、オランダ人の父と日本人の母を持つファン・ウェルメスケルケン際(ドルトレヒト)による「オランダサッカー教室」が郡山市内で開催される。選手としてはリオデジャネイロ五輪行きがかなわなかった際にとって、このような形で東京五輪に関わることはとても誇らしいことである。オランダ2部リーグを戦い終えた際に、この1年を振り返ってもらうとともに、ホストタウン事業への取り組みも語ってもらった。

「トゥーロンでの失敗がなかったら今の自分はない」

際は「あの失敗がなかったら今の自分はない」とトゥーロンでの戦いを振り返る
際は「あの失敗がなかったら今の自分はない」とトゥーロンでの戦いを振り返る【写真:Shutterstock/アフロ】

――プロ2年目のシーズンを振り返っていかがでしたか?

 

 充実していました。1年目はノーリスクのサッカーでしたが、今季はより攻撃的にリスクを冒しても問題なく、しっかりと自信を持ってプレーできるようになりました。


――シーズンが開幕した最初のころは、どうしても試合のどこかで失点に絡んでしまいました。


 ちょこちょこありましたね。どんなにいいプレーをしても、DFなので失点に絡むと気が落ちます。


――(U−23日本代表としてプレーした1年前の)トゥーロン国際大会の時も、失点に絡むミスがありました。


 はい。あれを引きずっていないと言ったら、うそになります。心の中にはずっと残っています。


――今も残っているんですか?


 今も残っています。ですが、それがあったからこそ、前向きのプレーが多くなった。一生忘れないけれど、一生ありがたいと思える失敗でした。場所が場所(日本代表)でしたけれど……(苦笑)。


――トゥーロンに出ていたのが、つい昨日のことのように感じるとか。


 ホント、早いです。正直、今(五輪代表として試合を)やりたいです。ですが、結果論かもしれませんが、去年のあれ(トゥーロンでの経験)がなかったら、今の自分はないかもしれない。何とも言えないです。


(今季は)シーズンを通して、明らかにプレーはよくなっています。自分のところでボールを持っても(チームとして)大丈夫になったのが、大きいですね。ドリブルで相手をはがして、時間を作ることができるようになりました。プレーしている間に焦りがまったくない。キツかったら、ちょっとドリブルをして持って、状況を変えればいいという感覚があります。ドリブルとパスだったら、今季はドリブルが7割くらい。多分、去年は真逆だったはずです。そこが大きく変わったところだと思います。


――昨季はバックパスが多かった?


 すごく多かったですね。なんで、あんなにバックパスしていたんだろうと思うくらい(笑)。僕は(サイドハーフ出身であり)サイドバック(SB)出身の選手ではないので、「守備」=「安全性」という考えがあった。だから、そういう思考になったのかなと今では思います。

ドルトレヒトでは「中心選手」として活躍中

際は現在、オランダ2部リーグのドルトレヒトで中心選手として活躍している
際は現在、オランダ2部リーグのドルトレヒトで中心選手として活躍している【Getty Images】

――ドルトレヒトでの1年目は3回ほどレギュラーを外された時期がありました。それが今季はけがを除けば、1試合だけでした。


 監督が「今度のヨングPSV戦(9月16日)ではセンターバック(CB)タイプをSBに使いたい」と言って、僕がスタメンを外されました。試合では(代わりに出た選手が)相手のサイドハーフにけっこうやられていて、サポーターがずっと「スーシー! スーシー!」とか「サイ!」とかベンチに座っている僕の名前をずっと歌っていたんですよ。きっと監督に(交代出場を)訴え掛けていたんですよね。90分間を通して、定期的に僕の名前を歌ってくれたのはうれしかったです。そこが去年との大きな違いだと思います。


――すっかり中心選手になったということでしょうか?


 そうですね。特にサポーターが僕のことを中心選手と思ってくれているし、好きでいてくれる。実際にプレーしていても、自分が中心選手であると感じられます。これがあるべき姿だと思いました。


――今季は31試合に出場しました。けが(ひざの十字靭帯損傷)があった割には、多く試合に出ましたね。


 スタメンで出る試合が多く、ちゃんと90分出ることができました。(編注:出場した31試合中、28試合でフル出場を果たしている)


――際選手が日本のメディアに載ることが少なくなった一方で、スタジアムにはたくさんの日本人ファンが来るようになりました。


(日本人ファンが)増えましたね。ありがたいです。個人スポンサーも増えました。これも全部ご縁で、完全に周りのおかげです。本当に出会いに感謝したいです。

中田徹
中田徹

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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