ポリバレントなウェルメスケルケン際 ピッチ内外で見せるドルトレヒトへの貢献

中田徹

「新鮮だった」オランダのサッカー

今季前半戦で、ドルトレヒトの右SBとしてレギュラーを努めたファン・ウェルメスケルケン際 【中田徹】

 オランダ2部リーグ、ドルトレヒトの右サイドバック(SB)として今季前半戦、レギュラーを務めたファン・ウェルメスケルケン際を、オランダの専門誌『フットボール・インターナショナル』が1月20日発売号で3ページに渡る特集を組んだ。際はオランダ人の父と日本人の母を持ち、マーストリヒトで生まれて日本で育ち、ルーツのオランダへ戻ってドルトレヒトのリザーブチームでスタートし、プロ契約を勝ち取った。チームメートからもファンからも愛されているのは一目瞭然。際を励ます「寿司コール」はドルトレヒトのホームゲームで最も湧く瞬間の一つである。英語を流ちょうに話し、オランダ語も積極的にしゃべろうとする姿。そしてプロになっても車を持たず(そもそも際はまだ免許がない)、プロサッカー選手と学生を両立する21歳のオランダ系日本人、ファン・ウェルメスケルケン際に、どうやらフットボール・インターナショナル誌の記者もシンパシーを抱き、今回の特集記事掲載の運びになったようだ。 

 際に「この記事、もう読んだの?」と聞いてみた。

「はい、読みました。クラブに置いてあった『フットボール・インターナショナル』を僕が家に持ち帰ってしまったので、チームメートは読んでいないはずです。これを読んでくれたサポーターに、僕のことをこれまで以上にもっと知ってもらういい機会になりました。でも、そこに一喜一憂していたらいけないので、もう次という感じですね」

 記事には「彼はかつて一度、夏休みにオランダに戻って2週間過ごしたことがある。『僕は12歳でした。今まで会ったことのない親戚に会えたことも素晴らしかったですが、何よりサッカーが良かったです。僕はもう日本へ戻りたくなかった。祖父と祖母が、僕のためにNECとドルトレヒトのU−12の練習に参加できるようにしてくれたんです』」とあった。「僕はもう日本へ戻りたくなかった」と際に思わせたものは何だったのだろう。

「オランダのサッカーが新鮮だったんです。僕が育った八ヶ岳グランデフットボールクラブ(現ヴァンフォーレ八ヶ岳)の根本はブラジルサッカーでドリブルや足元の技術ばかり取り組んでいました。ボールが来たらトラップして、それから何かしましょうというスタイルだったんです。でも、オランダに来たらドリブルしない、パスをする、ダイレクトを使う。(サッカーの種類が)ちがうなぁ。俺は何もできていないと思いました。あまりにサッカーの伸びしろがありすぎて『面白いからオランダにもっといて、もっとやりたい』と思いました」

 際が英語で受けたインタビューは、オランダ語の記事として「僕はもう日本へ戻りたくなかった」という短い一文になったが、あらためて日本語で言い直すと際のかなりの思いが詰まっていた。際は「言語の壁がまざまざと現れていますね」と言って笑った。

インターンシップでフロント業務を体験

 際がUEFA(欧州サッカー連盟)と提携している通信制大学の学生であることは以前のコラムで紹介した。彼はちょうど今、2年目のカリキュラムを終えようとしている。すでに際はインターンシップを終えて、論文を提出した。あとは口頭試験に受かれば短大卒に当たる資格を得ることができ、さらに3年、4年と進むことで大学卒の資格が与えられる。

「インターンシップ・プロジェクトの分析レポートをやっと昨日(2月4日)提出できました。15ページ書くのは長かった。僕はインターンシップを自分がプレーするドルトレヒトで行い、チーム状況の分析をしたり資料を集めたりし、それをオランダ語から英語へ翻訳しました。このクラブはスポンサーを増やさないといけないので、そのための準備もしていました。サポーターデーにも携わりましたね」

 ドルトレヒトはオランダのプロクラブの中でも小さなクラブだから、経営を安定させるためには大きなスポンサーが欲しい。しかし、メインスポンサーのリーワルにしろ、サブメインスポンサーのWSBソルーションにしろ、地元の企業。国際的な企業はユニホーム・スポンサーのマクロン(本社イタリア)ぐらいである。そこでインターンシップの一環として、際は日本企業獲得に試みることをクラブから託された。とはいえ、際は論文を書かないといけないし、何よりメーンの仕事はプロサッカー選手である。だから、インターンシップの期間内には日本企業向けのプレゼンテーション資料を作る余裕がなかった。

「インターンシップでドルトレヒトのダイレクターが聞いてきたのは『日本の企業をスポンサーにできないか』ということ。オランダ企業のスポンサー獲得なら、オランダ人が営業した方がいい。でもドルトレヒトのようなクラブはインターナショナルな経験がないから、クラブにとって日本企業は未知数なんです。もうインターンシップは終わりましたが、論文も終わったのでこれからパワーポイントなどでプレゼン資料を作り、僕が日本企業とコンタクトを取ることになっています」

1/2ページ

著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント