2007年 浦和レッズのACL制覇<前編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

07年までのACLは「罰ゲーム」だった?

07年の大きなトピックだった浦和のACL初制覇。Jクラブで初めての栄冠だった 【写真:アフロスポーツ】

「済州ユナイテッドと(ラウンド16で)と対戦した時、2007年の雰囲気にすごく似ていると感じて、『これはいける!』と確信しました。だったら、川崎(フロンターレ)とは早めに当たっておきたい。川崎に勝てれば、あとは敵なしと思っているくらいです。確かに今はリーグ戦で厳しい戦いが続いています。目先の勝利ももちろん大切なんだけれど、それでも久々にアジア(のタイトル)を獲れるチャンスなんですよ。だからもう少し、そういう意識がゴール裏全体に広がってほしいですよね」

 浦和レッズの伝説的なサポーターグループ、『URAWA BOYS』の創設者である相良純真は、17年のACL(AFCチャンピオンズリーグ)の戦いについて、このような見立てをしていた。話を聞いたのは昨年の7月19日。この時の浦和はどういう状況だったかというと、ACLでは順調に勝ち進んでいたものの、国内では6月に入ってから上位争いから後退。大量失点で敗れる試合が繰り返され、ついに7月30日にミハイロ・ペトロヴィッチ監督は解任されてしまう。そんな危機的な状況にあって、それでも浦和の10年ぶりとなるACL制覇を7月の時点で予見していた古参サポーターの眼力は、さすがという他ない。

「Jリーグ25周年」を、当事者たちの証言に基づきながら振り返る当連載。第12回の今回は、2007年(平成19年)をピックアップする。初代iPhoneが発売され、初音ミクがデビューし、食品偽装やネットカフェ難民が社会問題となったこの年、J1は鹿島アントラーズが優勝。一時は15位と低迷していたものの、リーグ終盤戦で驚異的な追い上げを見せて6シーズンぶりのリーグタイトルを獲得した。そしてサッカーファンにとって、何といっても一番のトピックスは、浦和のACL優勝。浦和という一クラブのみならず、Jリーグのクラブが初めてこのタイトルを制したという意味でも、まさに快挙であった。

 07年の浦和のアジア制覇の意義は、それだけにとどまらない。実は07年以前のJクラブは、ACLという大会に対して極めて冷淡であった。ホームゲームのスタンドには閑古鳥が鳴いていたし、過密スケジュールを嫌って「罰ゲーム」と捉えているJクラブも少なくなかったと記憶する。そのためだろうか、07年大会までのACLでは、決勝トーナメント進出を果たしたJクラブはひとつもなかった。そうしたアジア軽視の状況に風穴を明けたのが07年の浦和であり、他のJクラブもまた「自分たちもアジアでタイトルを!」と意気込むようになった。浦和の快挙は、Jリーグ全体にも少なからぬ好影響を及ぼしたのである。

犬飼前社長が準備したアジア王者への道

浦和のアジア制覇を語るうえで外せないのが犬飼前社長の存在。戦力補強など、さまざまな面でクラブをサポートした 【宇都宮徹壱】

 浦和のアジア制覇について語る時、忘れてはならないのが02年から06年までクラブの代表取締役だった犬飼基昭の存在である。06年に社長を退任後、JFA(日本サッカー協会)会長にまで上り詰めた犬飼だが、浦和のことは常に気にかけていたという。それは、自身が三菱グループ出身ということよりも、むしろ生まれ育った「サッカーのまち浦和」に対する帰属意識によるところが大きかったと語る。そんな彼が、アジアチャンピオンというものを明確に意識するようになったのは、社長就任3年目の04年であった。

「やはりギド(・ブッフバルト)が監督に就任してからですね。それまでの監督は、残念ながら決して志が高いとは思えなかった。まず着手したのが、組織の意識改革。クラブから現場から全部です。実は僕は『J(のタイトル)を獲れ』とは一度も言ったことはない。その代わり『アジア(のタイトル)を獲れ』と。ただし、最終的な目標は世界であり、そのためのアジアなんだと。ですから、Jは獲って当たり前なんです」

 戦力補強にも意欲的だった。04年には三都主アレサンドロと田中マルクス闘莉王、05年途中にはロブソン・ポンテ。そして06年にはワシントンと相馬崇人。だが、最も注目されたのは06年に5シーズンぶりの古巣復帰となった小野伸二であろう。小野の獲得については、犬飼自身が直接動いたそうだ。

「オランダ(フェイエノールト)にいた小野には、直接電話しました。『伸二、アジアを獲るために戻って来い』ってね。移籍金をカバーするために、小野のグッズをたくさん作るようにあらかじめ指示も出しておきました。それから中盤にもうひとり必要だろうということで、オランダ(ユトレヒト)からジュビロ磐田に戻っていた藤田俊哉にもオファーを出しました。ただ、向こうの社長に『これ以上、レッズが強くなるのは困る』って断られてね(笑)。結局、シーズン途中で名古屋(グランパス)に行ったのかな」

 犬飼が心を砕いたのは、戦力補強ばかりではなかった。何しろ初めて挑むACL。アジアでの戦いは、まったくの未体験ゾーンだ。ただし浦和にとって幸運だったのは、06年元日の時点でACL出場権利を持っていたこと(当時、天皇杯優勝チームは翌々年のACLに出場することになっていた)。よって06年は1年かけて、ACLのリサーチに費やすことができた。

「06年のACLの試合に、クラブのスタッフを張り付かせたんです。韓国や中東のクラブが、どういう準備をして大会に臨んでいるのか。練習場やホテル、あるいは食事や水、さらにはアウェーでのレフェリングとか、そういったものすべてを1年かけて調査させましたね。もちろん、すべては翌年3月からのACLを戦うためでした」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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