「オーバートレーニング症候群」とは何か 引退につながるケースも…専門家が解説
果たして選手生命までをおびやかすこの病気はどのような症状で、どのように予防・治療すればいいのか。2020年の地元開催による五輪の影響とは? 「オーバートレーニング症候群」の症状を訴える数々のアスリートの治療にあたってきた、スポーツ内科医の田中祐貴先生に聞いた。
特有な症状なし、診断は難しい
リオ五輪銀メダルの原沢久喜(写真)も診断を受けた「オーバートレーニング症候群」。果たしてどんな病気なのか 【写真:アフロスポーツ】
「オーバートレーニング症候群」とは、過剰なトレーニングが長期間続き、パフォーマンスや運動機能が低下し、疲労が容易に回復しなくなった状態と定義されています。「トレーニング負荷」と「回復」のバランスが崩れた時、つまり回復しきらないうちに次のトレーニングを行うということを長期間にわたって繰り返した時に起こりえるものです。症状は大きく2つに分けられます。慢性的な疲労や動悸(どうき)、息切れ、胸の痛み、食欲低下、手足のしびれ、微熱、体重の減少などの「身体的な症状」と、不眠や不安、うつ、焦り、集中力低下などの「精神的な症状」です。
最近では、「オーバートレーニング症候群」の精神的な症状が「うつ病」の症状とほぼ一致していることが注目されており、実際には「オーバートレーニング症候群」と「うつ病」を合併しているケースが少なくないと考えられています。両者の共通点は、強いストレスが原因であることですが、「オーバートレーニング症候群」は身体的なストレスが主な原因であり、「うつ病」は精神的なストレスが主な原因であると言えます。アスリートにおいては、激しいトレーニングによる身体的なストレスが大きければ「オーバートレーニング症候群」に、周囲からの期待、チームメートや指導者との不和など精神的なストレスが大きければ「うつ病」に結びつきやすいと考えられます。ただ、アスリートであればストレスを抱えていない者はおらず、そのストレスを「身体的」「精神的」と分けることは困難です。ですから、「オーバートレーニング症候群」や「うつ病」という病名に必要以上にこだわることなく、アスリートの「身体的」「精神的」ストレスを包括的に扱っていかなければなりません。
――症状が多岐にわたり、「この症状だからオーバートレーニング症候群だ」という診断の線引きが難しそうです。
そうです。例えば、高血圧のように「血圧が140mmHg以上だから高血圧です」といった明確な診断基準がありません。特有の症状がないので、疲れが抜けないからオーバートレーニング症候群だと決めるのも早計につながります。スポーツ貧血や運動誘発性喘息、甲状腺機能の低下、慢性感染症などでも疲労症状がみられることはあるので、そうした他のスポーツ内科疾患・一般内科疾患ではないと分かって初めて、オーバートレーニング症候群だと診断できます。
そもそもオーバートレーニング症候群は古代からあったと思われますが、原因不明の体調不良などと診断されてきたのだと思います。オーバートレーニング症候群がスポーツドクターの間で認知されるようになったのは、欧米では1980年代後半から、日本では90年代からです。2005年以降、スポーツドクターが集まる日本臨床スポーツ医学会などで、オーバートレーニング症候群が扱われる機会が増えています。
メディアなどでクローズアップされたのは、1999年に当時Jリーグ・清水エスパルスに所属していた市川大祐選手が発症した時ではないでしょうか。最近では柔道の原沢選手が世界無差別級選手権を辞退したことでこの症状が話題になり、サッカーで元サンフレッチェ広島の森崎浩司選手がこの症状と闘い、後に引退した時も注目されました。2012年のU−20女子ワールドカップで主将を務めた元浦和レッズレディースの藤田のぞみ選手はこの症状で一度引退していますが、その後松江シティRagazzaに加入し復帰したと聞いています(※編注:2017年シーズンより岡山湯郷ベルに移籍)。
――サッカー選手に多い症状なのでしょうか?
プロのサッカーチームには専属のチームドクターがいるので、そうした診断にたどり着くケースが多いのかもしれません。私が実際に診てきたオーバートレーニング症候群の選手は大学生が一番多く、あとは高校生、実業団・プロ選手とさまざまですが、競技はサッカーのほか、陸上の長距離選手が多いですね。持久系で単調なトレーニングを行うスポーツに見られやすいと言われています。
海外に目を向けると、野球や陸上の投てきといったパワー系競技におけるオーバートレーニング症候群の報告もあります。持久系のスポーツでは慢性疲労以外の症状があまり目立たないが、回復に時間がかかる傾向があり、パワー系のスポーツでは疲労だけでなく、その他の多彩な身体症状が見られるが、比較的回復は早い傾向があるという報告もあります。また、陸上や水泳、トライアスロン、ウエイトリフティングなどは、タイムや重量といった数値が指標となるので、パフォーマンスの低下が判断しやすく早期受診、早期診断につながるのかもしれません。
完全休養が必須、重度になればウォーキング禁止も
再発を繰り返しながらも16年までJリーグで活躍した森崎浩司 【写真:アフロスポーツ】
「休養」が必須の治療になります。競技によっても違いますし、発症までのトレーニングの強度や期間、症状やその程度にもよりますが、まず3カ月から6カ月の「完全休養」が必須になります。その際、精神的な症状も見られれば、抗うつ剤や睡眠薬を処方するといったうつ病治療も必要になることがあります。そうした薬を使うことに最初は抵抗を示すアスリートも多いですが、完全休養だけでなくうつ病治療も加えることで治りが早くなるケースを私も多く見てきています。不眠症状があるケースでは、睡眠薬の助けを借りて夜はしっかり寝て体を休め、生活リズムを作る方が、回復が早い印象です。
治療を始めてから1カ月に1回程度、定期的に通院してもらい、トレーニングを再開してもいいと判断できれば、まずは10%程度の強度からトレーニングを開始してもらいます。私は、段階的に1週間で10%ずつ強度を上げるようなイメージで競技復帰を進めてほしいと選手や指導者、トレーナーらに説明することが多く、100%のトレーニングができるようになる(完全に競技復帰する)まで、トレーニング再開から最低でも約2カ月半〜3カ月かかります。
途中で少しでも再発につながるサインが見つかれば、その時よりも1段階トレーニング強度を下げてもらい、様子を見ながらトレーニング量や競技復帰へのスケジュールを調整していきます。トレーニング再開後2〜3週間で絶好調だと感じた選手が、すぐに自分の判断だけで勝手にトレーニングを100%に近い強度に上げてしまい、オーバートレーニング症候群を再発してしまうケースも残念ながらあります。再発すると前よりもひどい状態になってしまい、回復できずに引退してしまった選手も見てきました。焦らず段階的にトレーニング強度を上げ、競技復帰を進めていくことが重要です。
――完全休養の期間は、ウエイトトレーニングや補強トレーニングをしたり、陸上選手が水泳をするというようにほかのスポーツで気分転換を図ったりすることはいいのでしょうか?
症状やその程度、その選手の性格などにもよるので判断は難しいところですね。私はストレッチなどについては許可するようにしていますが、重度のオーバートレーニング症候群ではウォーキングすら禁止するケースもあります。診断した後も、選手の症状の変化などを観察しながら、慎重に判断するしかありません。
――アスリートが3カ月から半年も完全休養するのは不安でつらく、周りの選手の調子が良いと焦りも出てくる。隠れて練習をしてしまうような選手もいると思うのですが?
仰る通り、全員が全員、ポジティブに病気と向き合えるわけではありません。「急がば回れ」だと頭では分かっているけれど、大事な試合まであと何カ月しかないのに休養している……というような現状への焦りや、自分を責める気持ちが出てきてしまう選手がいることも事実で、さらに落ち込んでしまったり、隠れて練習してしまったりという事態になったこともあります。
オーバートレーニング症候群になるアスリートに見られやすい性格として、根が真面目で几帳面、練習熱心なタイプが多いとされています。これらはアスリートにとって必要な資質でもありますが、少し体調がすぐれなくても「もっと練習しなければいけない」という思いから自分を追い込み、過剰なトレーニングの負荷につながってしまうのでしょう。
ただ、「競技に復帰して絶対に日本代表になりたい」などと明確な信念を持っている選手ほど、私の指示を聞いて完全休養を守ってくれるというのも事実です。身体機能や競技能力を上げるためには、ハードなトレーニングが必須です。トレーニングによって破壊し消耗させた体が回復して初めて、さらに負荷の高いトレーニングができます。その回復が不十分なまま高強度のトレーニングを続けてしまって発症するのがオーバートレーニング症候群ですので、休養することにより回復を待つというのが最善の治療であること、それが競技復帰に向けて一番の近道であることを、スポーツドクターや指導者などが選手にしっかりと説明する必要があると思います。