「オーバートレーニング症候群」とは何か 引退につながるケースも…専門家が解説

高島三幸

周囲は信頼関係の構築を

完全休養の間は自己啓発や読書など、それぞれの方法で回復にあたる 【写真:アフロスポーツ】

――完全休養期間中、選手は何をしていることが多いですか?

 著名なアスリートのメンタル系の本や偉人伝などを読んだり、スポーツ栄養学を勉強したり、過去の試合動画を見返して分析や戦術研究をしたりしているという話をよく聞きます。趣味のテレビゲームにはまったり、ピアノの練習をしたり、ボランティアに参加したりするなど、競技とは一見全く関係のないことに多くの時間を費やしたと話してくれた選手もいました。他にも、お世話になった中学校や高校の恩師をたずねて気付きを得たり、あらためて感謝の気持ちを抱いたり……選手によってさまざまです。いずれにしても本で勉強したり人に会ったりすることで人間性を磨き、通常のトレーニング期間にはなかなか経験できないことに時間を使っているようです。その時間は競技復帰後に決して無駄にはならないものと信じています。

 オーバートレーニング症候群で精神的な症状が強い選手の中には、「興味の喪失」という症状が現れる場合があります。例えば最初は趣味の釣りをしたいと全く思わなかった(興味の喪失)という選手も、休養して体調がだんだん良くなってくると、ある時から釣りをする意欲が湧いてきた、釣りに行くようになったという話も聞きます。このように、喪失していた興味が戻ってくるというのは好ましいエピソードで、競技復帰を進めて良いかを判断する時の1つのサインとして捉えています。

――周りはどのように選手をサポートすればいいでしょうか?

 明確な答えはないですが、スポーツドクターや指導者、トレーナー、チームメート、親など選手をサポートする立場の者が、オーバートレーニング症候群は治りうる病気であること、治療には一定期間の休養が必要であることを選手に繰り返し説明したり、本人の思いを傾聴して共感したりすることは非常に大事だと思います。休養中は身体症状、精神症状ともに何かしらの変化があると思うので、私は、スポーツドクターとして選手と信頼関係をしっかり築いた上で、チーム関係者と連携を取りながら「何かあれば話をいつでも聞きます」という体制を作るよう心がけています。そうすることで休養中の身体症状や精神症状の変化にも気付きやすいです。信頼関係を築いておかないと、選手が勝手にトレーニングを再開するというようなことが起きてしまうのだと思います。

 けがや病気の時はどうしても視野が狭くなりがちなので、目の前のことだけではなく、競技人生という長期的視点で計画を立てた上で、今何をすべきかと考えさせるのも、オーバートレーニング症候群を治療するための第一歩と言えるかもしれません。

コンディションを記録し続けることが重要

日頃からコンディショニング管理に高い意識を持つことが予防につながると田中先生は強調する 【写真:アフロスポーツ】

――選手自身がオーバートレーニング症候群を予防するためにすべきことは?

 オーバートレーニング症候群は特有の症状がないので確実な兆候をつかみにくいのが難点です。「慢性疲労」の状態が長期間続くと、オーバートレーニング症候群に移行すると考えることもできるので、この「慢性疲労」の段階でパフォーマンス低下やさまざまな症状に気付くべきです。この段階で気付けば、数週間の休養で完全に治る可能性や、完全休養しなくともトレーニング強度をしばらく落とすのみで治る可能性もあります。特に、良い成績を残した直後というのは注意が必要です。良い成績が残せたということは、過剰なトレーニングが長期間行われていた可能性が十分あるからです。

 軽微な体調の変化にいち早く気付くためにも、意識して自身のコンディションを管理することは予防につながると思います。例えば、練習の記録と一緒に疲労状態をモニターするための情報を記録しておくと良いでしょう。具体的に挙げると、トレーニングの強度や疲労度を5段階で評価したり、息切れや動悸、食欲などの自覚症状、体重の増減、体温や起床時の脈拍の計測を記録したりすることも、体調の変化を知る上で重要です。激しい練習をした翌日の起床時の脈拍は、10〜15ほど上がることが報告されています。いつもより起床時の脈拍が15以上高い状態が1週間以上続くようであれば、過剰なトレーニング負荷が続いている可能性をまず疑わなければなりません。そうした日々の記録などを選手本人や指導者、トレーナーらチーム関係者とスポーツドクターが共有し、トレーニング内容や強度を相談できるような体制を普段から作っておくことも大事だと思います。

――2020年の東京五輪開催に向け、「期待に応えなきゃいけない」などの強いプレッシャーから、オーバートレーニング症候群になるトップアスリートが増える可能性もあるのでしょうか?

 その可能性はありますね。オーバートレーニング症候群は、五輪を目指すトップアスリートだけでなく、中高生などの学生や市民ランナーといった人たちでもなりうる病気です。トレーニングの負荷が過剰かというのは相対的なものであり、あらゆるレベルのアスリートで起こりえます。しかし限界に近いところでトレーニングをしているトップアスリートは、誰もが常にオーバートレーニング症候群の危険をはらんでいると言えます。

 最後に、アスリートや運動愛好家の皆様に覚えておいていただきたいことがあります。それは、アスリートのコンディションを決める因子は4つあるということ、それらを人任せにせず、自分で意識しなければならないということです。4つの因子というのは「トレーニング」「食事(栄養)」「休養(睡眠)」「メンタル」です。1つまたは複数の要素のバランスが崩れると、オーバートレーニング症候群を含めたスポーツ内科疾患につながります。ついついトレーニングだけに目がいきがちですが、その他の3つにも十分、気を配るようにしましょう。

 選手やチームに何かあった時にすぐ相談できるスポーツドクターを普段から探しておくというのも大事だと思います。スポーツドクターの多くは整形外科医ですが、私のようにオーバートレーニング症候群の診断・治療を得意とする内科系スポーツドクター(スポーツ内科医)もいます。日本体育協会公認スポーツドクターは、日本体育協会ホームページ(http://www.japan-sports.or.jp/)から検索可能ですので、この機会にぜひご覧ください。

プロフィール

【写真提供:田中祐貴】

田中 祐貴(たなか ゆうき)
大久保病院スポーツ内科、日本体育協会公認スポーツドクター。
神戸大学医学部卒。腎臓内科医からスポーツ内科医に転身し、現在は兵庫県の大久保病院と京都九条病院のスポーツ内科外来で、主に不調を訴えるアスリートの診療を行う。2018年4月から大阪の東朋病院でもスポーツ内科外来を開設予定。また関西スポーツ内科・栄養学会の代表を務め、スポーツ内科・スポーツ栄養の啓発に努めている。

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著者プロフィール

ビジネスの視点からスポーツを分析する記事を得意とする。アスリートの思考やメンタル面に興味があり、取材活動を行う。日経Gooday「有森裕子の『Coolランニング』」、日経ビジネスオンラインの連載「『世界で勝てる人』を育てる〜平井伯昌の流儀」などの執筆を担当。元陸上競技短距離選手。主な実績は、日本陸上競技選手権大会200m5位、日本陸上競技選手権リレー競技大会4×100mリレー優勝。

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