躍進の21歳・阿武咲、純真な相撲道 星や番付より「強くなることだけが目標」

荒井太郎

大快挙にも喜びは淡々

新入幕から3場所連続で2桁白星を達成した21歳の阿武咲(左)。年6場所制以降では史上初となる快挙だった 【写真は共同】

 3横綱をはじめ、上位陣の相次ぐ休場により大混戦となった9月場所で、一度は全勝で単独トップにも立った阿武咲。初挑戦で大関、横綱を撃破するなど、前半戦の主役に躍り出ると優勝争いにも絡む活躍で10勝をマークし、2度目の敢闘賞も受賞した。

 新入幕から3場所連続2桁白星は戦前の照國以来、2人目。年6場所制以降では史上初。歴史に名を刻んだ大快挙にも「うれしいけど、全然意識はない。あくまで結果なんで」と新鋭は言ってのけた。心底からの喜びは別のところにあった。

「強い人とできて楽しかった。上位の独特な緊張感もあるし、これから先も生きてくる」

 4日目、初の大関戦で照ノ富士を引き落としに破っても「場所が終わったわけじゃない。15日間の中の一番」と結果を冷静に受け止めただけ。気持ちはすでに、翌日の日馬富士戦に向いていた。

「結びで取れることがうれしくて。緊張はなかった。行司さんの口上を聞いたとき、ここで相撲を取っているんだなと。あの空気が楽しかったです」

 武者震いすら覚えた横綱初挑戦で初金星。21歳の若者なら興奮を隠し切れなくても不思議ではないが「素直にうれしいけど、気持ちは明日です」と喜びに浸ることはなかった。

「平常心」と「押し相撲」で快進撃

「心が波打つことが小さくなった。(出世は)早いようで十両で苦労している」と師匠の阿武松親方(元関脇益荒雄)はまな弟子が新入幕を決めたとき、そう語っていた。

 高校を1年秋で中退して角界入りすると所要12場所、18歳で関取昇進。今でこそ、幕内で快進撃が続いているが、新十両から入幕までは14場所も要した。その間、幕下にも1場所陥落している。

「十両から落ちたくない、負けられないという気持ちになってしまい、場所で焦りがあった」と自身も十両時代を振り返る。関取の座を明け渡したときは、阿夢露の付け人も務めた。奮起を促すための親方のメッセージでもあった。

 実は、師匠も現役時代は全く同じような経験があった。十両からの陥落が決定すると「益荒雄」の四股名を“はく奪”され、本名に戻って黒廻しを2場所締めた。どん底から這い上がると右差し速攻の型を身につけ、今もファンの記憶に残る昭和62年3月場所で2横綱4大関をなぎ倒した“益荒雄旋風”を巻き起こしたのだった。

 阿武咲は新十両の場所以来、東京場所で勝ち越し、地方場所で負け越すというパターンを繰り返していた。それだけ地力が安定していなかった。入門前は四つ相撲。目先の白星欲しさに思わず廻しを取りにいくこともあったが、そんなときは師匠の厳しい檄が飛んだ。

「(押されて)起きてしまう癖があって十両では足踏みしたけど、親方を信じてやってきました」

 満身創痍ながらも逃げずに真っ向勝負を貫く兄弟子の付け人に付いたことで、守りに入ることなく攻め続ける姿勢も学び取った。

「入門して四つ相撲だった自分を押し相撲に変えてくれた師匠のおかげです」。最高の結果を残した今、しみじみとそう語る。

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著者プロフィール

1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、百貨店勤務を経てフリーライターに転身。相撲ジャーナリストとして専門誌に寄稿、連載。およびテレビ出演、コメント提供多数。著書に『歴史ポケットスポーツ新聞 相撲』『歴史ポケットスポーツ新聞 プロレス』『東京六大学野球史』『大相撲事件史』『大相撲あるある』など。『大相撲八百長批判を嗤う』では著者の玉木正之氏と対談。雑誌『相撲ファン』で監修を務める。

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