素人にも意見求める“素直”な新大関 高安が見据える角界の頂点
目指す理想の大関像
「大関の名に恥じぬよう、正々堂々、精進します」。シンプルな口上の中には高安の理想が込められていた 【写真は共同】
シンプルな口上の中には、新大関高安が目指す理想の大関像が込められていた。「どんな状況でも堂々としている、力強い相撲を取ることができるのが大関、横綱。自分も近づけるように頑張りたい」とも語っていた。大関昇進を“当確”させた先の5月場所13日目の日馬富士戦が、まさにそんな一番だった。
格上の横綱に対し、立ち合いで右から張り手を見舞って右上手をしっかりつかむと、思い切り投げた。これを残した日馬富士が反撃に出たが、高安は俵に足が掛かっても慌てることはなかった。左にサラリと体をかわすとはたき込み。
大関取りを懸けた大事な一番だったにもかかわらず、本人は「落ち着いて取れました。しっかり集中もできていたし、周りも見えていました」と事もなげに言った。「正々堂々」の相撲ぶりで大きな白星を手に入れても「そんなに心の変化はなく、冷静でしたね」というから恐れ入る。
「畳の上では敬意を表しますが、土俵に上がれば上も下も関係ないと思っている」(高安)
まだ三役に定着する前、高安はそう語っていたことがある。相手が横綱であろうと決して怯むことはなく、時には張り手も辞さない。当時から勝負度胸は満点であり、横綱、大関陣をしばしば撃破するなど、“上位キラー”ぶりを発揮していた。相撲ぶりも兄弟子の稀勢の里より、むしろ器用であった。根は左四つだが右四つでも遜色なく相撲が取れ、豪快な投げもあれば捻りもある。それでいて、突っ張りも繰り出す。
当たりの強さなら稀勢の里よりも上
「場所前の稽古もうまくいかなくて、心の準備もできていなかった」と振り返る。万全の状態で臨めなかったのもあるが、これといった自分の相撲をまだ見いだせなかったことで、自信を持つまでには至らなかったのではないか。
稽古場では相も変わらず、実力も格も上の稀勢の里にぶつかっていく日々。これまでは岩のように重くて動かなかった兄弟子が、ジリジリと後退させられる場面が目につくようになったのが、ちょうどこのころだった。
「稽古場で何番かに1回、しっくりくる立ち合いができて圧力が伝わることが何回かあった」と本人は徐々に手応えを感じ始めていた。「1月場所ぐらいから、下から突き上げる全身の力を肌で感じるようになった」と連日、弟弟子の当たりを受けていた稀勢の里もそれは実感していた。
本場所の出番前、胸出しをする高安の付け人は「当たりの強さなら、横綱(稀勢の里)よりも上ですよ」と証言する。こうして、最大の武器となった右からのかち上げをモノにしていったのである。