メンタルだけではない稀勢の里の敗因 横綱戦と平幕相手で異なった踏み込み

荒井太郎

大関奮闘の1年、際立った安定感

賜盃なく手にした年間最多勝のタイトルに困惑する稀勢の里だが、抜群の安定感が証明されたことには違いない 【写真は共同】

 今年の大相撲は白鵬の不調もあり、幕内優勝者に5人が名を連ねるなど、久しぶりに群雄割拠の様相を呈した。特に1月場所は琴奨菊、9月場所は豪栄道がそれぞれ賜盃を抱き、年間最多勝には白鵬の10年連続を阻み、稀勢の里が初めて輝くなど、大関が奮闘した年でもあった。その年に優勝が一度もない力士が年間最多勝となるのは、年6場所制が始まった昭和33年(1958年)以来、初めてのことである。

「喜んでいいのか、悔しんでいいのか、分からない」と稀勢の里は困惑する。悲願の初賜盃には届かなかったが、年6場所中、12勝以上が4場所でいずれもが優勝に準ずる成績というのは、抜群の安定感を誇っている証拠でもある。

稀勢の里が今場所も見せた2つの顔

 3場所連続綱取りの重圧から“解放”された11月場所は万全の取り口で連勝スタート。ファンなら誰もが知っている。“蚊帳の外”に置かれたときの稀勢の里はめっぽう強いことを。「もしかして、今場所こそは」とひそかに期待していた人も少なくなかったに違いない。

 しかし、そんな淡い期待も3日目に早くも打ち砕かれてしまう。約2年ぶりの対戦となった遠藤に対し、何もできずに一方的に押し出されると、7日目の正代戦で2敗目を喫し、上位戦が始まる前に優勝圏外へと追いやられてしまった。

 9日目に綱取りの豪栄道を辛くも土俵際の突き落としで退けると、翌10日目には早くも白鵬戦が組まれた。過去には大事なところでことごとく苦杯をなめてきたが、この場所はすでに全勝の鶴竜とは2差。何のプレッシャーもなく挑めたのは確かだろう。立ち合いは白鵬が横を向いてしまうほどの強烈な左おっつけ。すぐに向き直った白鵬だったが上体は浮いてしまい、反撃の威力も今ひとつ。相手の寄りを土俵際で残した稀勢の里は右上手をしっかりつかんで左ものぞかせる。こうなれば、さすがの大横綱も旗色が悪い。左下手まわしも引きつけると堂々の真っ向勝負で寄り切った。

3横綱連破の翌日に落とし穴は待っていた 【写真は共同】

「自分の相撲を取りました」と大きな白星にも表情は引き締まったまま、多くを語らないのはいつもと変わらず。翌日は鶴竜を左おっつけから最後は相手を土俵に叩きつけるような右小手投げ。どちらが横綱か分からないような力強い相撲で、優勝戦線のトップを走っていた鶴竜との星の差を1つとした。そして12日目の日馬富士戦も得意の左おっつけが炸裂。相手の突き放しを許さず、左のカイナを差し込んで寄り切り。1場所で3横綱撃破は自身初であるが「まあ、いいです。また、明日から集中してやるだけ」と取組後は素っ気なかった。

 優勝争いは一転、混戦となり“無冠の大関”にもがぜん、チャンスが巡って来たが、13日目は格下の栃ノ心に相手十分の右四つがっぷりの体勢で寄り切られ、盛り上がったムードはたった1日でしぼんでしまった。3横綱連破翌日の痛すぎる取りこぼし。八角理事長(元横綱北勝海)も「昨日までのも稀勢の里。これも稀勢の里」と苦笑いするしかなかった。

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著者プロフィール

1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、百貨店勤務を経てフリーライターに転身。相撲ジャーナリストとして専門誌に寄稿、連載。およびテレビ出演、コメント提供多数。著書に『歴史ポケットスポーツ新聞 相撲』『歴史ポケットスポーツ新聞 プロレス』『東京六大学野球史』『大相撲事件史』『大相撲あるある』など。『大相撲八百長批判を嗤う』では著者の玉木正之氏と対談。雑誌『相撲ファン』で監修を務める。

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