エース藤澤を救った元「戦力外」の笑顔 看板に頼らず五輪決めたLS北見
キーショットを決め続けた吉田知那美
LS北見が中部電力を3勝1敗で下し、平昌五輪の出場権を獲得。勝利が決まった瞬間、選手たちの目からは涙があふれ出た 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】
同じ相手と3日間で最大5試合を戦う決定戦。短期決戦は流れが勝敗を左右すると評されることもあるが、実力、経験とも上回るLS北見が下馬評通り今大会を制したのは、スキップの藤澤五月が本調子でなかった9日の2試合を1勝1敗で乗り切ったことが大きい。LS北見の1勝で迎えた9日午前の第2戦で、エース藤澤は簡単なショットでもミスを連発しチームも敗戦。午後に行われた第3戦でも本調子には及ばず、チームに暗雲が立ち込めるかに思えたが、そんな藤澤を救ったのがサードの吉田知那美だった。
パワフルなショットでダブルテイクアウト(相手の石を2つハウス内から出すこと)したかと思えば、難しいドローショット(ガードの後ろに回り込んで止める)もピタリと決める。キーショットを度々成功させたことで苦しむエースを楽にし、また中部電力のスキップ松村千秋に大きなプレッシャーを与え、LS北見の勝利につなげた。
藤澤が「本当に良いショットを決めてくれていたので、(第3戦の前に)知那についていくねと伝えた」と語るなど、大会を通じエースの右腕として大きな働きを見せた吉田知。チームの顔とも言える本橋麻里はリザーブに、そしてエースが苦しむなかでのこの結果は、“看板”2枚だけに頼らない、LS北見の層の厚さを感じさせる完勝だった。
当の吉田知本人も「このチームで五輪を決められて本当に良かった」と声を弾ませたが、彼女にとって2大会連続となる来年2月の五輪は、前回大会とはまったく違う意味合いを持つものになった。
「戦力外通告」受けて地元・常呂町へ
吉田知那美(左)は前回のソチ五輪にも出場。しかし、大会後に戦力外通告を受けてしまう 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
しかし初出場の緊張もあってか、初戦の韓国戦で精彩を欠いたプレーを見せてしまう。その後尻上がりに調子を取り戻し、チームも日本にとって史上最高タイとなる5位の成績を収めたが、吉田知に待っていたのはチームからの「戦力外通告」だった。
「氷の上に立っている姿を見られることが恥ずかしいと思うくらい、カーリング選手としての自信がなにも無くなってしまっていました」
夢にまで見た初めての五輪出場から一転、2011年の設立当初より所属していたチームからの非情な通告。五輪翌月の日本選手権をリザーブとしてコーチボックスから眺めた後、北海道銀行を退職した。「あんな思いをするんだったら二度とリンクに上がりたくない」。失意のどん底にたたき落され、大好きなカーリングから離れることを決意した。
そんな吉田知に声を掛けたのが、LS北見結成から4年弱、ソチの次に行われる18年平昌五輪出場を目指して動いていた本橋だ。ソチ五輪代表を逃したチームの強化に「五輪や世界を経験しているメンバーが必要。知那ならできる」(本橋)と、白羽の矢を立てた。ショックに打ちひしがれていた吉田知は一度は誘いを断る。しかし「自分のことは信じられないんですけど、信じてくれた人のことは信じられる」と本橋の熱意に心を動かされ、自ら地元・常呂町のLS北見へ加入したいと伝えた。