平昌五輪へ向けたカーリング女子の第一歩 世界選手権で見えた“新生”道銀の可能性
世界中位をキープも上位に食い込めず
日本代表として世界選手権に臨んだ北海道銀行フォルティウスは予選6勝5敗で6位に終わった 【写真:築田純/アフロスポーツ】
世界の中位をキープした一方で、昨年のソチ五輪でメダルを獲得したチームを2つ破りながらも、取りこぼしに近い試合もあり、地元開催で期待された上位4チームによるプレーオフ進出は逃すという結果になった。
疲労と会場の難しさが原因
スキップの小笠原(中央)は「安定度を増すこと」を課題として挙げた 【写真:築田純/アフロスポーツ】
序盤戦は良い流れをつかんでいた。ソチ五輪銀のスウェーデンと銅のスコットランド(五輪ではイギリスとして出場)を連続で撃破したのは大会2日目。スキップの小笠原歩が「スロースターター」な割には、チーム全体に“ビシビシと決まっている感”があった。
その“決まっている感”が大会の中盤から鈍り出す。特に6試合目となった米国戦では、その時点で全敗のチームに1勝を献上してしまうなど、大会を通じて良いリズムを維持することができなくなっていたのだ。
直接的な原因は、1つには疲労の蓄積だろう。2時間半の試合を1日2回、朝9時開始と夜19時開始で組まれることもあるタフなスケジュールの中で、疲れを回復させる余裕はなかった。小笠原も「若手が体にきていた」と話している。
また、カーリング専用ではないアリーナ会場特有のアイス状況の難しさも選手たちを悩ませた。カーリングでは、外気や観客の入退場のちょっとした気温、湿度の変化で氷の滑り具合が変化してしまう。加えて専用施設でないため、ライン(投石するコース)によってアイスの滑りやすさが極端に落ちる試合もあった。
「理想はあるけど、まず安定度を増すこと」。小笠原の念頭にチーム強化の第一段階として、実力を常に発揮できなければならないという課題があるが、それが浮き彫りになった。生もののアイスを相手にするカーリングでは、これができれば強豪国入りの条件を1つクリアすると言ってもいいだろう。
「結果」以上に重要な「経験」
世界選手権初出場となった吉村(右)は重責から涙することもあったが、十分力を出し切った 【写真:築田純/アフロスポーツ】
36歳の小笠原と船山に対して、近江谷は25歳、吉村と先に道銀入りしてソチ五輪を経験していた小野寺佳歩は23歳。将来有望な若手が貴重な経験を積むことができるという意味合いもある世界選手権だった。幾人かの関係者が「若さが出た」と敗因を指摘したが、これは経験値を上げることの見返りとして、必要なコストだったと積極的にとらえることができる。
世界でもまれ、経験を重ねてこそのし上がれるという観点からすると、ここで注目しておきたいのが、小笠原の功績だ。
そもそも、近江谷のバンクーバー五輪は、当時、未整備な競技環境の中で、小笠原が北海道から青森に道を切り開いて作った「チーム青森」の後継メンバーとしての舞台だった。そして、小野寺のソチ五輪出場は、小笠原率いる道銀に呼ばれたからこそ実現したものでもある。吉村もまた、道銀の一員として初めて世界選手権の舞台に臨んだ。若手3人が経験を積めたことは、小笠原がチームを引っ張ってきたからこそ成しえたものだろう。
世界の女子カーリングは進化している。スコットランドのスキップ、イブ・ミュアヘッドが「オフェンシブなチームが増えている」と話せば、長年に渡り、実力ナンバー1スキップとして世界に君臨するカナダのジェニファー・ジョーンズも「強いショットを打てる選手が増えている。体力も向上し、ここ5年でレベルが上がっている」と分析している。
そんな進化する世界の舞台に身を置き続けることが何より重要なことである訳で、おおげさに言えば、日本の女子カーリング界にそのストーリーを作り出している仕掛け人が小笠原なのだ。だからこそ、15年3月に札幌で得た「経験」は、6位という結果以上の意味を持つことになるだろう。