良血は忘れた頃に。トーセン。 「競馬巴投げ!第149回」1万円馬券勝負

乗峯栄一

函館記念で三連単91万5320円をゲット!

[写真1]シャルール 【写真:乗峯栄一】

 前回の当コーナー、函館記念でヤマカツライデン軸の三連単マルチ90点買いという卑怯な手に出た。しかし、その卑怯さが吉と出て、91万5320円という、かつてない大穴をゲットすることが出来た。

 これで年間収支もいきなりプラスに転じたはずだ。何しろ月2回の当コーナーで、一回につき1万円勝負だから、91回は当たらなくていいことになる(小者らしく、考えることがセコい!)。91回ということは45ヶ月は当たらなくていいということだ。

 それにしても「当たらない、当たらない」と嘆いて「ほんとですねえ。当たりませんねえ」と変な同調をくれて、それでも辛抱して当コーナーを続けさせてくれている担当編集者に、わずかばかり恩返しできたと喜んでいる。よくぞ、ここまで辛抱してくれた。

 秋はGIでも大穴いくからね。

カネ持ちってのはどういうことを考えて暮らしてるんだろ?

[写真2]マキシマムドパリ 【写真:乗峯栄一】

 競馬予想コラムのようなものを書きだして、もう25年になる。「日本一当たらない予想コラム」とか(「日本全国の予想コラム、全部調べたのか」と抗議したら「関東、関西、北海道、九州は調べましたけど」などと返事された)、「当たらないことで売る予想コラム」などとも言われたことがあるが、それでも過去数回は大穴を当てたことがある。

 大穴を当てたとき、ぼくは何を考えるかというと「カネ持ちってのはどういうことを考えて暮らしてるんだろ?」という唐突な問いかけだ。

 もう20年ぐらい前になるが、京王杯スプリングCでドゥマーニという人気薄の外国馬が勝って馬連8万6千円という高配当が出たことがある。まだ馬連全盛の時代だ。ぼくはこれをスポニチ(関西)予想で当て、個人的にも千円買っていて、ドゥマーニの単・複と合わせて百万というカネを獲得した。それまでの25年の競馬生活で初めての経験である。

 このときぼくは何をしたかというと、騎手・松永幹夫ら高収入人間の集まりで、サッと両手を広げ、「ここの寿司屋は任せろ」とデカい声を出した。スポニチ・レース部には「いつも当たらなくて悪いね」などと皮肉の手紙を添えて、祝儀10万を送った。

 わが家でも異様な行動を取った。我が家というのは、競馬から帰ってくると、だいたい静かなたたずまいをみせている。

 コタツの上の折り込み広告の裏に、坂を滑り落ちるトンボが描いてあったりする。そのトンボから矢印が引っ張ってあり、「競馬アリ地獄に落ち、青空に向かって空しくクロールするトンボ」などと注釈が書いてある。どういう意味なのか分からない。

 とにかくトンボの横でイビキをかいている嫁の脇を通り抜け、自分でフトンを敷き、チューハイを飲んでそっと寝るのである。

 しかしその京王杯の日だけは違った。嫁の鼻先に三十万を差し出す。カネの匂いに飛び起きた嫁に「幸せになれ」と捨てゼリフを吐いて、ハラッと札束を落とした。

 つまりこのように、わが競馬人生において百万というカネは、とてつもなく大きい訳である。

 しかしである。考えてみれば、世の中には毎週百万、あるいはそれ以上儲けている人間だっている。ぼくの親戚や友人にはいないが、たぶん日本にはそういう人間は大勢いるのだ。そしてそういう人間というのは、毎週「ここの寿司屋は任せろ」と大手を広げたり、毎週「幸せになれ」と嫁に30万投げつけたりはしないはずだ。「あ、今週の百万ね、そこ置いといて」などと、書類から目を離さなかったりするのだ、きっと。それが悔しい。

 競馬マスコミ末端に参入するまでは、カネ持ちには目をそむけて暮らすことができた。しかし競馬世界を垣間見て数十年、避けようとしても、どうしてもカネ持ちを見なければならないシーンが出てくる。これが辛い。

1/3ページ

著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント