逃げ一族ヤマカツの一発 「競馬巴投げ!第148回」1万円馬券勝負

乗峯栄一

栗東トレセンで最初にできた友達

[写真1]ダンツプリウス 【写真:乗峯栄一】

 栗東トレセンに行き始めてもう25年になるが、25年前、一番最初に出来た友達が、今年初め58歳の若さで亡くなった小林常浩(当時調教助手、のち競馬ライターに転身)である。酒の飲み過ぎによる肝硬変(ひとのことは言えないが)が死因だった。

 中年採用の新人乗峯は「トレセンてどんなとこだろ?」「どんな人がいるんだろ?」とおっかなびっくり行っているものだから、この小林常浩の影響は絶大だった。「トレセンて、やっぱり勝負の世界だからなあ、こういう性格、行動の人でないとやっていけないんだろうなあ」と感心ばかりしていた。

 エピソードは数限りないが、“キソジ事件”も決して忘れられないものの一つだ。

どうせ鼻くそ飛ばして本命決めてるんやから

[写真2]ナリタハリケーン 【写真:乗峯栄一】

 調教助手時代から、小林常浩は競馬雑誌にコラムなど書いていたが、あるときデビュー間もない武幸四郎騎手にインタビューすることになり、ぼくも同席した。

 幸四郎騎手が帰り、取材場所の寿司屋を出ると、対談ホスト・小林常浩から「もう少しだけ飲もう」という提案が出る。普通“提案”というのは構成員(編集者、カメラマン、飛び入り・乗峯栄一)の諾否を待って実行に移されるものだが、このホストの提案は「飲むだろ? アーン?」という顎のシャクリが伴い、さらにこのシャクリが出たときには既に実行に移っている。つまりこれは“提案”の衣をかぶった“脅迫”である。

 われわれ付き人がちびちび飲んでいる横で、ホストはストレートブランデーの上にレモンが載ったやつをを「アイリッシュじゃよお」などと講釈垂れながら5杯ほど立て続けにあおる。寿司屋からの延長で既に目はすわっている。

「オヤジよお、今日、栗東のオレんとこに泊まって明日、金沢行くべ。明日、金沢でウチ(当時安田伊佐夫厩舎所属)のキソジゴールド使うんや、一緒に行くべ」

「いや明日は金曜で、スポニチの予想コラム書く日だから今日は豊中に帰らんとアカンねん」

「う?」とホストは我が耳を疑うように目を細くして、こっちに顔を近づける。

「あんた、まさかウチのキソジゴールドなんか負ければいいとか思ってるんちゃうやろな」

「そ、そんなこと思ってないけど……」

「応援したくないとか、思ってるんちゃうやろな」

「そりゃ、応援したいけど……」

「よし、決まった」

「いや、明日は予想書く日やから無理やで。あれは出馬表が出てからでないと書けないんやからな」 

「予想、予想って、シャーモナイ(このシャーモナイの“シャー”に過度のアクセントがつく)当たりもせんのに。今からチョチョッと書けばええやないか、どうせ鼻くそ飛ばして本命決めてるんやから。ええか、明日、京都10時の雷鳥で行くからな」

 その晩、小林家の寝室、グーグー高いびきの“シャーモナイ”オジサンの横でコソコソと想定予想原稿書いて何とか形を整え、金沢へ帯同することになる。

 でもこれはいい。何といっても賭事は楽しいし、地方競馬に行くというのはそんなに機会がある訳ではないし、多少苦労しても有り難い誘いだと思えないことはない。

 しかし最大のショックは翌朝タクシーに一緒に乗り込んだときに起きた。

 隣りに乗り込んだぼくを見て、“シャーモナイ”オジサンは「う?」と怪訝な表情を浮かべる。

「あれ? あんたも金沢行くんか」

「……」言葉が出ない。“シャーモナイ”オジサン、すでに前日の記憶が飛んでいるのだ。

「あんた、今日、スポニチの原稿の日と違うんか。うん?」

「……」

「フーン、ワシらは仕事で馬連れていくけど、あんたはバクチ三昧いうことか、フーン、いい身分やな」

 ワナワナ震えるコブシを押さえ、人生の不条理を思った。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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