精神的、肉体的にブラック援助 「競馬巴投げ!第146回」1万円馬券勝負
ぼくの「予想供与」も要らないなんて
[写真1]アンビシャス 【写真:乗峯栄一】
これは何かお礼しないといけないと思い「代わりに、当たり馬券教えてあげましょう」と提案したら「いえ、結構です」と即答される。ぼくの「予想供与」も要らないなんて、こういうのを無償の援助というのだろうか。精神的援助というのだろうか。その人たちはひとに貴重な席を譲った上に、馬券も当てていた。「情けは人のためならず」というのを地でいく行為に思えた。
わが本命クリンチャーは向正面で早くも姿が見えなくなり、馬名が放送されることもなく、大歓声のなか、ただ俯いて馬券を破るだけだった。
キミはレイデオロに対して何かしたのか?
[写真2]エアスピネル 【写真:乗峯栄一】
「これ少ないけど、軍資金ね」と万札一枚差し出してもモグモグ食うぐらいのものだろうし、ニンジン一本ぐらいやっても、それでダービーが勝てるようになるとは思えない。
「レイデオロがダービー勝つに決まってるって、オレは前々から言ってたやろ」と馬券振りかざして自慢するおじさんはよくいるが、そういうとき「キミはレイデオロに対して何かしたのか?」と聞きたくなる。
「ダルビッシュは大リーグのエースになるって、私は信じてました」などとTVに出てくるおじさんは、だいたい少年野球のときダルビッシュを見いだして投手をやりなさいと命じたとか、高校時代、ダルビッシュの痛めた肩を根気よく治してあげた整体師だとか、何らかの援助をダルビッシュに対してしているものだ。
「レイデオロがダービー勝つと、私は信じてました」と自慢したいなら、レイデオロの脚を治してあげたとか、高エネルギーえんばくを開発して、飼い葉として与えていたとか、レイデオロに対して何か援助していないとおかしい。