「偉大なボス」か「優れた戦術家」か? 結果を残し続ける、名監督の条件

片野道郎
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提供:スポナビライブ

必要なのはまず「結果」

モウリーニョ(左)やグアルディオラのように、チームに数々の栄光をもたらす名監督の条件とは何なのか? 【Getty Images】

 名監督――そう呼ばれるための条件とはいったい何だろうか。

 言うまでもないことだが、何よりもまず必要なのは「結果」である。監督の仕事とは何かという問いに対する、最も簡潔かつ本質的な回答は、「チームを勝たせること」以外にあり得ない。名監督たちが歴史にその名を残しているのも、監督として勝ち取ったその勝利の数、築いた黄金時代の輝きゆえだ。

 ひとつの試合に勝つことは、相対的に言えばそれほど難しいことではない。しかしシーズンを通して結果を積み重ね、タイトルを勝ち取るというのは、ごく限られた監督にしか成し遂げることが許されない偉業だ。そしてそれを何年もの間、保ち(あるいは争い)続けるというところまでいくと、これはもう想像を絶するほどに難しい。それを成し遂げられる監督が非常に際立った“何か”を持っていなければならないのは、ある意味で当然のことだろう。

 それが何であるのかは、時代によって、また人によって異なってくる部分が小さくない。それは、監督の仕事の内容そのものが、時とともに少なからず変化してきたからでもある。

権威と人望、マネジメントの手腕が重要だった時代

監督の仕事は多岐にわたるが、以前はより権威と人望、マネジメントの手腕が重要だった 【写真:ロイター/アフロ】

 仕事の最終的な目的が「チームを勝たせること」であり、そのためのアウトプットが試合におけるチームのパフォーマンスにあるという点は、一貫して変わらない。そのために監督が具体的にやることは、以下に集約できるだろう。システムと戦術を決め、メンバーを選んでピッチに送り出し、試合が始まれば必要に応じて戦術を修正し、選手を交代する――という3点だ。

 だが、実のところ、これは監督の仕事のほんの一部分にすぎない。というよりも、その「上澄み」にすぎないと言った方がいいかもしれない。なぜなら、仕事の本質はむしろ、試合でチームが行うパフォーマンスを準備する日々の作業、つまり毎日のトレーニングやチームマネジメントにこそあるからだ。

 かつて、マット・バスビー(マンチェスター・ユナイテッド)やジョック・ステイン(セルティックなど)が伝説を築いた1950‐60年代、リヌス・ミケルス(アヤックス、バルセロナ、オランダ代表など)やボブ・ペイズリー(リバプール)が欧州チャンピオンズカップ(当時)を席巻した70年代、そしてフランツ・ベッケンバウアーがドイツ代表を率いた80年代まで、毎日のトレーニングは現在のそれよりもずっとシンプルだった。

 極端に言えば、ピッチを何周か走り、パスやシュートの技術エクササイズをこなし、ゲーム形式の練習をすればそれで全て。組織的な戦術よりも1対1の“デュエル”(球際の競り合い)の比重がずっと高かったこの時代、重要なのは優秀な「個」がチームとして結束し、勝利のために戦うことだった。これまでに挙げた名監督たちは何よりもまず、選手たちにわがままを許さない権威と人望、そしてチームマネジメントの手腕を備えた「偉大なボス」であり「絶対的なリーダー」だった。

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著者プロフィール

1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。2017年末の『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)に続き、この6月に新刊『モダンサッカーの教科書』(レナート・バルディとの共著/ソル・メディア)が発売。

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