闘将、寡黙なリーダー、バンディエラ…… クラブの歴史を彩る偉大なキャプテンたち
「名キャプテン」に共通するもの
マルディーニやプジョル。タイプは違うが、名キャプテンには共通する特徴がある 【写真:アフロ】
もちろん、そうしたリーダーのタイプはひとつではない。「名キャプテン」として記憶されている多くの選手たちを思い浮かべても、ロイ・キーンやローター・マテウス、ディエゴ・シメオネのように自ら先頭に立ってチームを鼓舞する「闘将」タイプもいれば、フランコ・バレージやパオロ・マルディーニ、そしてハビエル・サネッティのように、言葉よりも態度で模範を示す「寡黙なリーダー」もいる。
しかし、自らの利害よりもチームの利害を優先する姿勢、自己犠牲の精神や自分に対する厳しさを持ち、常にポジティブに物事を考えて前向きに行動する強いパーソナリティーと求心力の持ち主だというのは、どんな名キャプテンにも共通する側面だろう。リーダーシップの基盤をなすのは、まさにそういったヒューマンな部分だからだ。
求められるキャプテンとしての資質が変化
マラドーナはチームメートから絶対的な信頼と尊敬を集めるキャプテンだった 【写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ】
1970年代のヨハン・クライフや80年代のミッシェル・プラティニやディエゴ・マラドーナはまさに、そのプレーが勝敗を左右する絶対的なプレーヤーであると同時に、チームを統率する絶対的なリーダーでもあった。
例えばマラドーナは決して練習熱心とは言えなかったし、その振る舞いがチームの模範になるような優等生でもなかった。しかしピッチの上では「困ったらとにかく俺を探してボールをよこせ。後は俺が何とかするから」と言い、実際にあらゆる状況を自らのプレーによって解決してみせた。チームが困難に陥った時にも決して逃げ隠れすることなくボールを要求し、たったひとつのプレーで試合の流れを変える――。ナポリでもアルゼンチン代表でも、マラドーナはチームメートから絶対的な信頼と尊敬を集める存在だった。
彼らと比べると現代のスーパープレーヤー、クリスティアーノ・ロナウドやリオネル・メッシは、攻撃の最終局面を担って勝利をもたらすエースではあっても、チームの絶対的なリーダーとは言えない部分がある。彼らは誰よりもタレントに恵まれているだけでなく、誰よりも真摯(しんし)にサッカーに取り組むプロフェッショナルのかがみだ。しかし、もはやモダンフットボールは、彼らにボールを預ければ全てを解決してくれる、というような状況を許してはくれない。ピッチの外だけでなくピッチの上でも、チームをひとつの組織としてオーガナイズして動かす能力が、キャプテンにはより強く求められるようになっているのかもしれない。例えばかつてのフランツ・ベッケンバウアーのように。
“バンディエラ”と呼ばれるクラブのシンボル
トッティはロマニスタからの愛情を一身に集める「カピターノ」であり続けた 【写真:ロイター/アフロ】
その典型と言えるのが、育成部門からそのクラブで育ち、トップチームに上がってそのまま愛するクラブでプレーを続けるという、これ以上ないほど幸せなキャリアを送ってきたキャプテンたち。イタリアで“バンディエラ(旗頭)”と呼ばれる存在だ。
例えば、つい先ごろローマ一筋25年間の現役生活にピリオドを打ったフランチェスコ・トッティ。16歳でトップチームにデビューし、24歳でキャプテンとして悲願のスクデットを勝ち取ったトッティは、その後も全盛期のミラン、銀河系軍団と呼ばれた当時のレアル・マドリーから一度ならずオファーを受けながら、それをすべて拒否して「愛するローマ」でプレーを続けることを選んだ。
トッティは、先頭に立ってチームを鼓舞する「闘将」でもなければ、誰からも尊敬される「人格者」というわけでもない。しかしローマとロマニスタ(サポーター)のために全てを捧げる姿勢、そしてピッチ上で決定的な違いを作り出す天才的なひらめきとテクニックを通して、すべてのチームメート、そしてすべてのロマニスタから最大級のリスペクトと評価、そして愛情を一身に集める「カピターノ(イタリア語でキャプテンの意)」であり続けた。
ローマは、トッティの前にも80年代後半から90年代前半にかけて10番を背負ったジュゼッペ・ジャンニーニを、そしてパウロ・ロベルト・ファルカンやブルーノ・コンティ、カルロ・アンチェロッティらを擁してスクデットを勝ち取った80年代前半にもアゴスティーノ・ディ・バルトロメイという、生え抜きのキャプテンを擁していた。そして、トッティからキャプテンマークを受け継いだのも、やはり生粋のローマっ子であるダニエレ・デ・ロッシだ。