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“伝染病に怯える”仕組みは1300年間変わっていない
[写真1]シュウジ 【写真:乗峯栄一】
『感染列島』という映画ではこのパンデミックを扱っていて、予告編では、「だめ、ウイルスがうつる」ときれいな女性がかすかな呟きと共に手で遮ろうとするのを、男がかまわずひしと抱きしめ、「そのときあなたは愛する人を抱きしめられますか?」というナレーションが流れる。
数年前NHKスペシャルで放送された『最強ウイルス』も高視聴率だった。ぼくは近所のスーパー銭湯サウナの大型テレビで見たが、普段なら「アッチィ、アッチィ」と悲鳴上げて人が出入りするのに、10分、20分、汗まみれの裸のおっさんたちが動かない。「お前ら最強ウイルスの前にみんな熱中症で死んでしまうぞ」と捨てゼリフを残して出て行ってやった。
最近「病が語る日本史」(酒井シヅ著・講談社)という本を読んだ。「鳥インフルエンザウイルスは未曾有のパニックを引き起こす」とNHKスペシャルも映画『感染列島』も言うが、飛鳥時代の706年、藤原不比等以下数万人が死んだと言われる「疱瘡(天然痘)」のときはどうだったんだ。鎖国制下の1822年唯一の貿易港長崎から初めてコレラが日本に入ってきたときは西日本を中心に数万人の死者が出「三日コロリ」という病名が付けられた。インフルエンザも平安初期(862年)には既に大流行、死者多数の記録がある。江戸・享保年間には江戸だけで死者8万人と言われ、街には死臭が溢れたが、それでも人々は「お駒かぜ」「お七かぜ」などと大流行のたびに名前まで付けて、まあしょうがないかというムードだった。ウイルスはおろか細菌の存在さえ分からなかった時代の話だ。
我々は「そうか、病気の正体を知らない無知時代はお札貼ったり、疫病祓いの祭りやったり、そんなマジナイしかやることがなかったんだなあ」と同情する。しかし西暦2500年あたりの人からみると「そうか、2020年前後の人間は鳥インフルエンザで未曾有のパンデミックが来るって怯えてたのか」と言われるんじゃないか。“伝染病に怯える”仕組みは1300年間何も変わっていない。
「今週は当たるんじゃないか」と錯覚するのは伝染病(依存症)である
[写真2]メラグラーナ 【写真:乗峯栄一】
人が日々ごはんを食べるのは伝染病(依存症)である。隣の家と同等に夫婦がセックスするのは伝染病(依存症)である。「やめよう」と思っているのに週末競馬のネット情報を見て「今週は当たるんじゃないか」と錯覚するのは伝染病(依存症)である。
この場合の原因はウイルスよりさらに小さい“ビービル”(などと勝手に名前を付ける)だ。いまの科学技術ではまだ発見されない。しかし我々はこのビービルによる伝染病(依存症)という日常の中で生きている。ただ「即座に死に至る重篤なビービル伝染病」と「じわじわ死に至る、あるいは生の喜びという幻想をもたせるビービル伝染病」と、二種類の伝染病(依存症)があるだけだ。
ビービルは超微細だから、いまの電子顕微鏡では発見できない。発見できないが、それは確かに存在する。クォークとか、ニュートリノとか、ヒッグス粒子というのは、「超微細な粒子であると共に波である」ということから、発見が極めて困難だった。しかし存在を証明して、その証明者がノーベル賞まで受賞しているのは「存在すると信じて疑わなかった」からだ。「詰む」と分かっている「詰め将棋」は必ずいつか解ける。しかし「詰むか、詰まないか分からない詰め将棋」は永遠に解けない可能性がある。