シンガポール戦で得られた教訓とは何か? われわれも共有すべきW杯予選の「わな」

宇都宮徹壱

サッカーという競技の妙味

日本の猛攻を耐え抜いたシンガポールは、試合終了と同時にピッチに倒れ込んだ 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 かくして、日本のW杯2次予選初戦は、スコアレスドローに終わった。誰もが言いたいことが山ほどあるだろう。だがその前に、敵地で見事に勝ち点1をもぎ取ったシンガポールについて、あらためて言及しておきたい。彼らにとって、日本との実力差は明白であった。FIFAランキングについては、すでに述べたとおり。W杯予選では5回対戦しており、いずれも日本が勝利している。確かに1点差の試合は3試合あり、うち2試合はジーコが代表監督だった04年の話である(アウェー2−1、ホーム1−0)。とはいえ、この試合で日本が不覚を取ることは、やはり考えにくいことであった。スイスのブックメーカーの予想は、日本勝利が1.02倍、引き分けは19倍、シンガポール勝利は34倍となっていた。

 試合後のスタッツを見ると「よくぞ引き分けに持ち込めたな」という数字が並んでいる。ポゼッション率は日本65.7%でシンガポール34.3%。シュート数は23本と3本。CKに至っては14本と0本である。実際、シンガポールがカウンターに転じても、攻撃の人数が圧倒的に足りなかったため、ほとんど脅威となることはなかった。その分、守備に関しては「くだらないファウルをしないように選手には言い聞かせた。実際、イエローカードは1枚もなかったし、フェアな守備をしてしっかりとコントロールしていた」(シュタンゲ)。その意味でも、シンガポールにとっては会心の引き分けであった。

 アジアのハブとして、順調な経済発展を遂げてきたシンガポール。だが、スポーツに力を入れ始めたのは最近の話である。人口は500万人ほどいるが、7割以上を占める中華系がアスリートになるのは極めてまれであり、今回のメンバーもほとんどがマレー系(人口比率では13%にすぎない)。国土も東京23区とほぼ同じなので、スポーツのインフラにも限りがある。シンガポールの選抜チームが『ライオンズXII(トゥエルブ)』としてマレーシアリーグに参戦しているのも、そうした事情があるからだ。隣国のマレーシアに依存しながら、何とかナショナルチームの体(てい)をなしているシンガポール。その程度のサッカー国力しか持ち得ない国でも、W杯連続5回の出場を誇る日本と引き分けることができる。そこに私は、サッカーという競技の妙味をあらためて感じてしまう。

 もっとも、シンガポールの選手はあくまでも謙虚だ。ヴァイッド・ハリルホジッチをして「6〜7ゴールは防いだ」と言わしめた、シンガポールのGKイズワン・マフブドは、少しはにかみながら、ミックスゾーンでこんなコメントを残している。

「日本はアジアのサッカー大国であり、僕たちはアンダードッグ(弱者)だ。だからこそ、テレビの世界でしか見たことのない香川と、一緒にトンネルからピッチに入るのは非常に名誉なことだったね。今日の結果は奇跡だったと思うけれど、僕たちはすべてにおいてハードワークしたことで、引き分けという結果を得ることができた。もしJリーグからオファーが来たら? もちろんうれしいよ。僕はチャレンジすることが大好きだし、もし日本でプレーする機会があれば、それはきっと大きなステップアップになるだろうね」

3年後につながる教訓があるはず

W杯予選はまだ始まったばかり。この試合で得た教訓を次に生かすことが求められる 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

「私は、それなりに長いサッカー人生を送ってきた。このように支配をし続け、19回の決定機を作ったのに、こういう(点が入らない)試合を見たのは初めてだ」

 よほど衝撃的だったのだろう。試合後の会見でハリルホジッチは「19回の決定機を作ったのに」というフレーズを4回も繰り返していた。とはいえ私たち日本人は、これまでの代表の試合で何度となく「決定力不足」と言われる試合に接している。チャンスは作っているし、技術もある。それなのに決定的な場面で何度もシュートを外し、それが心理的なプレッシャーとなって、さらなる悪循環を生じさせる。指揮官がかつて率いた、コートジボワールやアルジェリアとはまったく異なる、日本人選手独特のメンタリティーというものを体感できたという意味では、むしろ良い教訓となったのかもしれない。

 この試合でもうひとつ教訓が得られたとすれば、われわれがシンガポールを、そしてアジア予選を、心のどこかで侮っていたという事実を認識できたことだろう。前日会見でハリルホジッチは「この試合にはわなが仕掛けられている」と語っていた。確かに、わなは存在していた。しかしそれは、当人や選手のみならず、私を含むメディアやファンもまた、巧妙に仕掛けられたわなにはまっていたのではないか(かくいう私も、イラク戦のあとに楽観的な内容のコラムを書いたことを今は非常に悔いている)。当たり前の話だが、W杯予選に簡単な試合など、ない。それもまた、シンガポール戦でわれわれが得た教訓である。

 何ともふがいない試合ではあった。それでも、外国人監督が日本代表独特の脆弱さを把握することも、選手やメディアやファンが勘違いに気づくことも、どちらも早ければ早い方が良い。逆に前回のブラジル大会では、それらが本番になって一気に露呈したことが一番の悲劇であった(前年のコンフェデレーションズカップでは、その兆候が見られたのだが)。W杯での晴れ舞台で「こんなはずでは」と思うよりも、予選の早い段階で痛い目に遭っておいたほうが、どれだけ良いことであろうか。

 W杯アジア2次予選は第2節が終わり、グループEは勝ち点4のシンガポールが1位、1試合少ないシリアが勝ち点3で2位、同じく1試合少ない勝ち点1の日本は4位となっている(3位は2試合消化で勝ち点3のアフガニスタン)。日本がスタートダッシュに失敗したという事実は否定できないが、さりとて必要以上に悲観すべきでもない。シリアとシンガポールとの直接対決にきっちり勝利すれば、1位突破は十分に可能だ。次の予選は3カ月後、9月3日に埼玉で行われるカンボジア戦である。そして8月の東アジアカップでは、国内組のみの招集とはなるものの、再び合宿を組むことができるし、軌道修正の時間もある。ロシアへの道はまだまだ長い。一見、ふがいない試合にも、必ずや3年後につながる教訓があるはずだと信じたい。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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