「7人制で勝負したい」吉田大樹の挑戦
ラグビー界の「いいひと」が新天地へ
- 向風見也
- 2015年4月22日(水) 11:55
強豪・東芝を退社して和歌山へ

セブンズ日本代表としてリオ五輪を目指す吉田大樹【赤坂直人】
てっぺんだけ長めに残した短髪。南国の小動物の瞳。座右の銘には「感恩報謝」を掲げる。
「恩に報いるために人生を全うする。この言葉が好きで……」
2015年春。「ヒロキさん」こと吉田大樹が、ラグビー選手としての生活にひと区切りをつけた。それまで11季在籍していた東芝を退社し、住み慣れた東京の府中市を離れるのだ。新たな挑戦と、新たな出会いへ。これからは和歌山で県立高校の教員を志す。
一方で、オリンピック出場を目指す。
――国内トップレベルでの競技生活を通し、学んだことは。
「チームの和、ですかね」
「陰で練習は、正直、誰でもやっている」

東芝ではBKの複数ポジションをこなしてチームに貢献した【写真:アフロスポーツ】
群馬の東京農大二高、関西の名門・同志社大を経て東芝入り。当時の薫田真広監督曰く、繰り広げられたのが「親に見せられない練習」だった。工場脇の芝生の道場で、「ヒロキさん」は覚悟を決めて鍛錬を積んだ。
台頭したのは入社3年目。日本最高峰トップリーグの2006年度シーズン、来る日も来る日も居残りでキック練習をしていた「ヒロキさん」が出番を得る。
「陰で練習というのは、正直、誰でもやっていると思うんです。そんななか、誰かが怪我をした時のようなチャンスをどうつかむか。大事なのはそこなんですよね」
司令塔のスタンドオフや仕留め役のウイングとして、先輩のものだったファーストジャージをもぎ取る。結局、シーズンの完全制覇を果たした。
献身的なプレーで指揮官に信頼される

日本代表としても7キャップを獲得している【写真:アフロスポーツ】
東芝の文化を「まじめさ、素直さ、練習のきつさですね」と捉えた。クラブのエッセンスを骨の髄まで染み込ませる「ヒロキさん」は、以後もクラブで存在感を示してゆく。
薫田氏の後を継いだ瀬川智宏監督には、しばしば全体ミーティングの「題材」にされた。「さっきまであっちにいたヒロキが、もうこっちにいるぞ」。ボールを持たぬ折も献身的に動き、声と身体を張った。後続のレギュラーたちの手本になった。