ラグビーW杯出場へ…復活を誓うマフィ 日本代表HCから贈られたジャージ
トップリーグに衝撃を与えたデビュー
昨季、日本代表デビューを果たしたアマナキ・レレィ・マフィ。現在は脱臼骨折のリハビリに励んでいる 【斉藤健仁】
昨年11月には日本代表として初キャップも獲得したマフィ(レレィはミドルネーム)。そのデビューはセンセーショナルだった。
花園大出身のルーキーは、昨年8月23日のトップリーグの開幕戦では相手を吹き飛ばして豪快なトライを挙げた。「自分の力を示したかった。ワイドでプレーしていたので自分のスピードとパワーを生かしやすかった」。2試合目では、元ニュージーランド(NZ)代表を押しのけて先発出場し、世界的名将の一人であるNTTコムのロブ・ペニーHC(ヘッドコーチ)も「彼なら世界中どこでも通用するほど能力が高い」と太鼓判を押した。
ラグビーと勉強の両立のために日本の大学へ
花園大からNTTコムへ。「NTTコムだけが僕を見つけてくれた」 【斉藤健仁】
高校では会計と物理が得意で「ラグビーをしながら大学に通える」と日本行きを決断した。ただ「日本で強い大学と聞いていました。どうしても僕を呼びたかったみたいで、話を膨らませたことがあったみたい(苦笑)」と振り返るように、関西大学Bリーグの花園大では、なかなか日の目を見なかった。「ストレスに感じたこともありましたが、どちらかというとホームシックの方が強かったです」
大学3年時、チャンスが巡ってくる。近鉄花園ラグビー場で行われた関西ラグビー祭りの天理大対明治大の前座だった「関西学生南北対抗戦」のメンバーに選出。「自分にとってはビッグマッチでした。もしかしたらスカウトが来ているかもしれない。ラストゲームだと思って臨んだ」(マフィ)という試合で、その身体能力を見せつけた。「トップリーグに入れなかったらトンガに帰るつもりでした。NTTコムだけが僕を見つけてくれた」
「日本は自分の国だと思っている」
エディー・ジョーンズHCの存在も、日本代表を選択する理由のひとつだった 【斉藤健仁】
ただ、その合宿でマフィの表情は、秋の日差しの中でもやや曇ったままだった。3年居住をクリアしており、日本代表資格は得ているが、桜のジャージーに袖を通せば「小さい頃から夢だった」というトンガ代表への道を失う。さらに日本代表合宿を終えて1週間経つと、今度はトンガ代表にも選出される。「難しい選択だった」とマフィは振り返る。
「もし順番が逆だったら、違った選択をしたかもしれません。エディー(・ジョーンズHC)は『自分が選んだ道でハッピーになる方を選びなさい』とアドバイスしてくれました。また、両親は『日本代表を選んだとしても、あなたの決断を誇りに思います。どこでプレーしても味方だし、サポートする』と言ってくれましたね」
悩んだ末、マフィは「日本代表としてW杯に出る」と夢を変えた。結婚を約束している日本人女性もおり、日本に住んで5年目を迎えて「日本でそのまま暮らしたかったし、日本は自分の国だと思っている」、また「エディーの下でラグビーがしたい」という理由もあり日本代表でプレーすることを選んだ。