指揮官も説得、メッシが代表引退を撤回 新生アルゼンチンのスタイルは?

代表引退を撤回したメッシ

コパ・アメリカ・センテナリオ決勝直後に代表引退を発表したメッシだが、前言を撤回した 【写真:USA TODAY Sports/アフロ】

 リオネル・メッシは9月に行われるワールドカップ(W杯)欧州予選に出場するのか。それとも7月に表明した代表引退の意思は今も変わっていないのか。アルゼンチン国民、そして世界中のバルセロナファンがやきもきしてきた問題は、ついに終止符が打たれることとなった。8月12日(現地時間、以下同)、メッシが母国への「愛情」を理由に代表引退を撤回したのだ。

 メッシの代表引退発言が飛び出したのは、コパ・アメリカ・センテナリオ決勝直後のことだった。1年前の前回大会に続き、PK戦の末、チリに敗れたショックは相当に大きかったと見られる。その後に愛する人々とオフを過ごし、新シーズンへ向けて気力とプレーする意欲を取り戻していく中で、考えを改めていったのだろう。

 以前は批判ばかりで、中には代表よりバルセロナを重視していると主張する輩(やから)までいたアルゼンチン国民の大多数が代表復帰を求めていることも、彼の考えを変えさせる要因になったのかもしれない。また、アルゼンチン代表の新監督に就任したばかりのエドガルド・バウサも先日、引退を翻意させるためメッシに会い、説得を行っていた。

メッシが抱くAFAへの怒り

アルゼンチン国民の大多数がメッシの代表復帰を求めていた 【写真:ロイター/アフロ】

 フル代表デビューした2005年以降、1つのタイトルも獲得できず挫折を繰り返してきたフラストレーションは相当に大きいはずだ。だがそれはメッシが代表引退を決意した最大の要因ではない。それ以上に大きな問題は、史上最悪の混乱状態が続くアルゼンチンフットボール協会(AFA)が代表チームの足を引っ張り続けていることにある。

 メッシがAFAに対して抱いている怒りは最近に生じたものだけでなはない。その原因はいくつもある。彼以外にも、以前からハビエル・マスチェラーノなど多くの選手たちが、明確な代表強化プロジェクトの欠如や協会幹部の力量不足を訴えてきたからだ。

 代表チームのプレースタイルはその好例だ。メッシがフル代表に定着して以降、アルゼンチンは監督が代わるごとにシステムや戦い方を大幅に変化させてきた。フアン・ロマン・リケルメを中心に回っていたアルフィオ・バシーレ時代のフットボールは、W杯南アフリカ大会まで率いたディエゴ・マラドーナの指揮下で一変した。その後コパ・アメリカ2011まで指揮したセルヒオ・バティスタはバルセロナの4−3−3とポゼッションスタイルを模倣したが、14年W杯ブラジル大会に臨んだアレハンドロ・サベーラはハイプレスと相手のミスを突くカウンタースタイルに傾倒。しかし、ヘラルド・マルティーノはハビエル・パストーレとエベル・バネガを重用し、再びボールポゼッションを重視したスタイルに回帰している。

 マルティーノが辞任したコパ・アメリカ・センテナリオ敗退後、メッシとマスチェラーノは後任監督の選考に口を挟まぬよう沈黙を保っていた。正しい判断だったと思う。それは選手ではなく協会幹部が果たすべき役割であるし、そのような言動は今後、ピッチ上で結果を出せなかった際に批判の材料とされかねないからだ。

1/2ページ

著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント