保田克也vs.宇津木秀のチャンピオン対決を三代大訓はどう見るか 注目の国内ライト級戦線の行方

船橋真二郎

日本ライト級王者の三代大訓(左)は12月7日、丸田陽七太との注目戦を控える(2024年10月5日) 【写真:船橋真二郎】

 ライト級のチャンピオン対決が迫ってきた。11月21日、WBOアジアパシフィック王者の保田克也(大橋/32歳、14勝9KO1敗)と東洋太平洋王者の宇津木秀(ワタナベ/30歳、14勝12KO1敗)が東京・後楽園ホールで激突する。

 すでに100人を超える世界王者を輩出してきた長い歴史の中で、誕生した日本人世界王者は1970年代のガッツ石松(ヨネクラ)、2000年代の畑山隆則(横浜光)、小堀佑介(角海老宝石)の3人のみ。世界挑戦からも長らく遠ざかっているのが、この61.2kgリミットの階級である。

 日本ライト級王者として保田、宇津木と並び立ち、両王者と浅からぬ関係もあるのが三代大訓(みしろ・ひろのり、横浜光/30歳、16勝5KO1敗1分)だ。その三代が「2人を知っているから言いたくない、とかじゃなくて。どっちが勝つか、ほんとに分からない」と評する実力拮抗の一戦である。

 実力的に必ずしも日本王者の上にアジア、東洋太平洋の王者が位置するわけではないのが実状。特に今のライト級は、保田がWBO 6位、三代がIBF 10位の世界ランカーで、宇津木は元日本同級王者、三代は1階級下の元東洋太平洋王者と肩書き、実績で見ても、ほとんどそん色がない。

 ただし、三代はスーパーフェザー級王者時代、当時の日本王者・末吉大(帝拳)とのチャンピオン対決を経験済み(結果は引き分け)で、ライト級転向初戦で元WBO世界スーパーフェザー級王者の伊藤雅雪(横浜光)を破るなど(判定勝ち)、経験の厚みで他の2人の王者を上回っているとは言える。

 自身も12月7日、元日本フェザー級王者で、日本ライト級3位の丸田陽七太(まるた・ひなた、森岡/27歳、14勝10KO2敗1分)を後楽園ホールに迎える注目の一戦を控える三代。保田は中央大学の2つ上の先輩にあたり、同い年の宇津木とは大学リーグ戦で3度戦った(三代の2勝1敗)ライバルで、2年ほど前まではワタナベジムの同門だった。

 そんな三代にライバル王者の保田、宇津木の2冠戦について聞くとともに今後の国内ライト級戦線を展望する。難関の階級で、誰が最強を証明し、世界に近づくのか。

「やりづらさ」の中に「怖さ」がある保田克也

WBOアジアパシフィック・ライト級王者の保田克也(2024年7月9日) 【写真:ボクシング・ビート】

「保田先輩は過小評価されてるな、というのが僕の印象です」

 三代の言葉は「世間的には宇津木優位」の下馬評が前提にある。昨今、ボクシングを中継する各映像配信プラットフォームで、指標にされることの多い「ボクシングモバイル」サイトの会員投票による勝敗予想では、確かに7-3と意外なほどの開きで宇津木の優位と出ているのである(投票締め切り前時点)。

 保田はスタンスを広く、懐深く構え、鋭いカウンターで迎え撃つサウスポーで「やりづらい」というイメージが一般的だが。

「“やりづらさ”にもいろいろあって、保田先輩の場合、その中に“怖さ”があるんですよね。(カウンターの)左ストレート、右フックとか、タイミングが抜群で威力もある。ただやりづらいというだけじゃなくて、“怖さ”をちらつかせた“やりづらさ”なので」

 アマチュア時代、保田と宇津木は一度だけ対戦したことがあった。2013年10月、保田が全国初優勝を飾った東京国体の準々決勝で、大学3年の保田が1年の宇津木にポイント勝ちしている。

 保田は前年の全日本選手権で準優勝。敗れはしたものの、国内最高峰の大会で決勝まで進出し、勢いに乗っているときだった。三代がスパーリングで保田に「ボコボコにやられた」のも大学1年の頃の記憶で、宇津木戦の時期と重なる。

 当時の保田もカウンターが武器で、基本的に変わらないと宇津木は話しているから、ある程度のイメージは持っているはず。ポイントは、プロの小さな8オンス・グローブで向かい合ったとき、三代の言う“怖さ”をちらつかせた“やりづらさ”をどう感じるか、になるか。手を出しづらくなるなら、保田の術中に陥るかもしれない。

 茨城県小美玉市出身の保田は、水戸短大付属高校(現在は水戸啓明高校)時代にインターハイに2度出場。部活ではなく、世界にも挑戦した元ヨネクラジムの日本スーパーフライ級王者で、元世界王者の鬼塚勝也(協栄)と2度、拳を交えたことでも知られる中島俊一会長のBoy's水戸ジムで練習に励み、大会に出場。2年時のベスト8が最高成績だった。

 国体で優勝した年の春、中央大学は関東大学リーグ2部から翌年の1部昇格も決めた。が、保田は大学最後の1年をケガで棒に振る。結果を出したことで、もう十分と、どこかで満足してしまったという保田は気の緩みもあったのか、リーグ戦を前に友人たちとサッカーに興じ、右脚を骨折するのだ。

 復帰しないまま大学を卒業し、一度は就職した保田が25歳でプロデビューしたのは、そんな悔いや不完全燃焼感と無縁ではなかった。

「動くものを捉えて、殴るみたいな精度の高さとか格闘センス、まだ試合で出せてないだけで、保田先輩が持っている能力はもっとすごい」

 三代が敬意を示した才能は大学時代、磨かれないままだった。保田自身、あまり練習熱心ではなく、「遊ぶのが楽しくて、(ボクシングに)打ち込みきれていなかった」と当時を振り返っている。だが、今は違う。

 昨年6月に保田が王者になる1ヵ月前、正式に大橋ジムの一員になった元ロンドン五輪代表の鈴木康弘トレーナーとの出会いが大きかった。鈴木トレーナーが自衛隊体育学校時代に実践したフィジカルトレーニング、経験豊かな元トップアマの知見に触れ、30歳を過ぎても成長できると実感したことが保田を変えた。

 自分から仕掛けることを課題のひとつとして取り組み、少しずつ試合でも出るようになってきた。

「今回の試合、やっぱり大一番だし、相手が強ければ、より力を発揮するのが保田先輩なので。ここで出せるか。注目です」

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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