「9ゴール+2つの苦い薬」 U-16日本代表、ドーハから世界への旅が始まった

川端暁彦

代表初招集で4得点を決めたFW谷大地 【撮影:佐藤博之】

「ドーハの悲劇」、その場所で

 山本昌邦ナショナルチームダイレクターが「30回は来ていると思う」と笑うその場所の名を、「ドーハ」と言う。

 中東、ペルシャ湾に突き出す半島に位置するカタールは、積極的に国際大会の誘致を進めており、その首都ドーハでは1995年にワールドユース(現U-20ワールドカップ=W杯)、2011年にアジアカップ、2022年にはついにW杯まで開催している。

 秋田県より狭い国土へ国際大会を招致し続けており、来年から毎年開催の大会へリニューアルされるU-17W杯の「5年連続開催権」まで勝ち取っている。

 いまや、大きな大会のホスト国として、すっかり定着したと言っていいだろう。だからこそ、90年代から各年代の日本代表に携わってきた山本ダイレクターが「30回は来た」という状態になっているわけだ。

 そうした流れが生まれる初期段階が、1993年に行われたW杯アメリカ大会・アジア最終予選の開催だったという。つまり、日本が試合終了直前の失点で初のW杯の切符を逃した、いわゆる“ドーハの悲劇”である。

 悲劇の地として日本のサッカー関係者の脳裏にその名が刻み込まれたドーハだが、意外に縁起は悪くない。

 1995年のワールドユースでは中田英寿氏らを擁した日本が初めて予選を自力突破して出場し、ベスト8入りの快挙。2011年のアジアカップも優勝しているし、2016年のリオ五輪予選でも日本は韓国を破って優勝、2022年のW杯でもドイツ、スペインを破る快進撃の舞台となった。そして今年4月、パリ五輪予選も“大岩ジャパン”の優勝という結果が残る。

「悲劇のあと、日本サッカーはずっとここで借りを返し続けていて、もうお釣りをもらっているんですよ」

 山本ダイレクターはそう言って豪快に笑う。

 2024年10月23日(現地時間)からはU-17W杯へのアジア1次予選を兼ねるAFC U17アジアカップ予選F組の戦いもこのカタール・ドーハの地で開幕。さらなるお釣りをもらうための戦いが始まった。

 第1戦の相手はU-16ネパール代表。試合が行われたアル・アリ競技場は、まさに「ドーハの悲劇」が起きたそのスタジアムである。

 ピッチを眺めるだけで、「ここでカズさんがショートコーナーに詰めたのか」とか「中山雅史さんが泣き崩れたのはこの辺かな」といった感慨も自然と湧いてくる。

 もちろん、これは年を取ったサッカーファンならではの感情で、2008~09年に生まれたこの大会に出てくるU-16日本代表選手たちが共感するのは難しいだろう(そして、それでいいのだ)。

 ただ、「意外に選手たちはドーハの悲劇を知っているんだよ」と山本ダイレクターが言うように、“歴史的事実”としての認知はあるようだ。このあたりは、今年のパリ五輪予選やカタールW杯で盛んにメディアでその単語が使われ、解説された影響があるのだろう。

 U-16日本代表はそんな場所での初陣でU-16ネパール代表と対戦。まさかの先制点を奪われる展開に動揺しつつも、FW谷大地(サガン鳥栖U-18)の4得点などで大量9ゴールを記録。9-2の大勝で白星スタートとなった。

高崎経由ドーハ行き

参加各国の監督と記者会見に臨む廣山望監督(左から2人目) 【撮影:川端暁彦】

 山本ダイレクターには「ドーハへはさすがに直行便で来たんでしょ?」と聞かれた。

 先月行われたAFC U20アジアカップ予選で、キルギス入りするに際してカザフスタン経由での陸路を取っていた話をしていたので、そんな確認をされた形だったのだが、今回も直行便ではない。

「高崎」経由である。

【提供:川端暁彦】

 この画像を友人に送って、「高崎経由でドーハへ行くんだ」という言葉を添えたら、「群馬からドーハへの便なんてあるんだね」という素直な返信が来てしまった。

 もちろん、「高崎国際空港」は群馬県には存在しない。中国・厦門(アモイ)にある国際空港の名前である。台湾の向かい側に位置する中国南方の歴史ある国際都市は、来月のW杯予選で日本が中国と試合をする予定の場所でもあったりする。

 コロナ禍以降から中国経由の旅は難しさを増してしまったのだが、最近は大きく緩和が進んで旅の選択肢に入ってきた。今回もこの厦門航空の便がコスト的に断然お得だったため、選択することにした形だ。

【撮影:川端暁彦】

 この写真は厦門航空の機内食、チキンのフライドライス。圧倒的に茶色い見た目だが、かなり美味。なお、パスタは美味しくなかったので、もし厦門航空を利用する人がいたら、ライスを薦めておきたい。

 ドーハは基本的に“お金持ちの街”であり、高価なものを求められばいくらでも出てくるような場所なのだが、大量の出稼ぎ労働者がコミュニティを形成している多国籍な街でもある。

 外食の価格もインド周辺の出稼ぎ労働者たちをターゲットにした店は軒並み安価。しかも料理にこだわりのある国々なので、総じて味も悪くない。

 カレーが苦手な人はトルコ系の店に行くといいだろう。世界中のどこに行っても安定感があるのがトルコ料理だが、中東では特に人気も高く、現地に定着しているがゆえに、安価で高品質な料理と出会える。

【撮影:川端暁彦】

 こちらはブハーリと呼ばれる米料理。元々はウズベキスタンに由来するそうで(ウズベク人もテュルク系民族である)、シンプルな料理だが、それゆえにハズレもなくて美味しい。

 カタールの環境は総じて日本人にとっては「良すぎるくらい」(廣山望監督)のもので、大きな負担感はないという。異国のホテルの料理に苦戦する選手はいるようだが、日本から持ち込んだ食料も活用しながら乗り切っているようだ。

 もっとも、慣れない異国のホテル暮らしに体調を崩す選手は出てくるもの。初戦を前に発熱する選手も出てしまっており、暑熱もあってコンディショニングはやはり簡単ではない。

 ただ、妙な言い方に聞こえるかもしれないが、こうして体調を崩すのも年代別日本代表で体感できる重要な経験の一つ。海外のホテル暮らしの中でどうやって自分のコンディションを保つか。

 発熱して出場機会を逃した選手や、コンディションを落として試合でのパフォーマンスが振るわなかった選手は、おのずと強くその点を意識するようになるもの。そうした教訓を得られるのも、若い世代からの代表活動の存在意義である。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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