樋口新葉、東京選手権優勝も「今がピークじゃない」 競技から離れた時間がもたらした余裕

沢田聡子

全日本選手権を見据えて挑む今季

練習から得た自信を武器に、優勝を果たした樋口(中央) 【写真は共同】

 最終滑走者として迎えたフリー、樋口は『Nature Boy』『Running Up That Hill』を使うプログラム(シェイ=リーン・ボーン氏振付)を滑った。紫のグラデーションに染められた衣装をまとった樋口が、スタート位置につく。

 樋口がボーン氏から聞かされたフリーのストーリーは、「前半は、自分と何者か分からないものが通じ合っていて、そこに向かってついていくようなイメージ。後半は、自分がその何者かに伝えられたものを感じて、上に進んでいく」というものだという。

「(ショート・フリーの)両方とも、本当に表現が難しいプログラムなんですけど」と樋口は語る。
「『自分が思い切り、プログラム自体を最初から最後まで力強く滑れるように』というモチベーションの意味でもこの曲を選んだので、力強く滑れるといいなと思います」

 神秘的な雰囲気も漂うフリーで、樋口は冒頭3つのジャンプを成功させた。しかし4つ目のジャンプである3回転サルコウで転倒すると、その後3回転ルッツ―ダブルアクセルの着氷も少し乱れる。だが、指先の妖しい動きが印象的な終盤のステップシークエンスは圧倒的で、シーズンを通してこのフリーがどう仕上がっていくのか、楽しみになる出来栄えだった。

 樋口のフリーの得点は、125.26。フリーだけの順位は3位だったが、合計点192.33では1位で、優勝を果たした。

 表彰式後、メディアに対応した樋口は「めっちゃ嬉しかったです」と笑顔をみせた。

「ジャンプでシングルにならずに全部締め切ったのと、最初から最後まで練習通り120%の力で滑り切れたと思うので、そこがすごく自信につながりました」
「ショートもフリーも、本当に自信を持って滑れたので。多少不安もあったんですけど、練習してきた分の自信は、ちゃんと持って滑れたかなと思います」

 次戦は、グランプリシリーズ第1戦・スケートアメリカになる。

「『今がピークじゃない』というのを、自分でも感じているので。これからどんどんどんどん上げていける。しんどいのは見えているんですけど、こうして結果に残ったのですごく楽しみだなという部分と、海外試合は日本の試合とはちょっと雰囲気が違うので、そこも含めていろいろ想定しながら、練習していきたいです」

 樋口が照準を合わせているのは、12月に行われる全日本選手権だ。
「ショート・フリーを全日本でそろえられたことがないので、それをまず目標にします」

 武器としていたトリプルアクセルについても、考え方が変わったという。

「(トリプルアクセルを)練習しているんですけど、まだ試合に入れるのには…『アクセル入れると、多分他が崩れちゃうのかな』と思うのと、あとは『そこまでアクセルにこだわる必要があるのかな』とも、最近思い始めているので。スピンやステップなど、点数をとれる部分はまだあるので、アクセルも練習しつつ、自分の元々できる部分の質を上げていくのも練習しています」

 2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪への思いを聞かれると、「うーん、まだそこまでは」と慎重な口ぶりになった。

「オリンピックに向けて何かを調整というよりは…本当に一つのシーズンで、いろいろなことが大きく変わっちゃうので。それは平昌のシーズンでも経験したことだったので、『オリンピックに絶対行きたい』という気持ちを持って臨むというよりは、自分のできることを全部、毎試合出し尽くすのが一番大事かなと思います」

 2018年平昌五輪代表選考ではあと一歩のところで及ばなかった樋口は、代表入りを果たした2022年北京五輪で、トリプルアクセルを成功させた。失意を味わった4年前から積んできた努力の結果だったが、だからこそ北京五輪後は、達成感とともに虚脱感も大きかったであろうことは想像に難くない。

 北京五輪後に競技から離れた時間は、懸命に突っ走ってきた過去にはなかった余裕を、樋口にもたらした。先を急ぐことなく一歩一歩を大切に歩む今の樋口にしかできない演技を、今季はしっかりと見届けたい。

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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