三浦佳生単独インタビュー 五輪プレシーズン、目指すのは“じっくり見せるスケート”と“安定感”

沢田聡子

紀子先生に師事したのは自分のターニングポイント

佐藤紀子先生(右)に師事する三浦は「一つひとつ積み重ねていくことの重要性を意識して学んだ」と語る 【Photo by Harry How/International Skating Union via Getty Images】

――“令和のランボルギーニ”という呼び名は気に入っていますか?

 そうですね。ランボルギーニ、格好いいですし。ランボルギーニに“ミウラ”という車種があるので、それもあって“ランボルギーニ・ミウラ”と言ってもらっていますね。(坂本)花織ちゃんが“フェラーリ”と呼ばれているから、ファンの方々の間で「じゃあ佳生くんはなんだ」となった時に、“ランボルギーニ”っていう異名がついたんです。

――幼いころからスピードはあったのですか?

 小さいころからスピードはあって。逆にスピードがないとジャンプが跳べない感じだったので、それが逆に今に生きているという感じですね。

――あのスピードからジャンプを跳ぶのは、怖くないですか?

 あまり怖くないですね。スピード自体はみんな出そうと思えば出せるんですけど、多分そのスピードからジャンプを跳ぶというところが、なかなか他の選手にはないところなので、そこはメリットでもあり、デメリットでもあるんです。

 メリットは、ジャンプが跳べればGOE(出来栄え点)がかなりもらえるというところ。デメリットは、コントロールするのが難しいことです。でも最近、ジュニア時代になかなかできなかったことができるようになってきたので、自分の持ち味にするにあたって、よりよくなってきているとは思います。

――ジュニア時代は、スピードのコントロールに苦しんでいたのでしょうか?

 4回転ってエネルギーを使うじゃないですか。だから、締める。余裕がないから逆に決まるんですけど、余裕があるジャンプになってくると、逆にコントロールが難しくなってくる。ジュニア時代は「3回転、どこで開いたらいいか分からない」みたいな感じになっていて、4回転が決まって、3回転やダブルアクセルで失敗するみたいなスケーターだったので、「このままでいいのか?」って思っていました。それがスピードをなくさないままよくなってきたので、だから今はこうして武器となっているという感じですかね。

――どうやってコントロールできるようになったんですか?

 最初は、スケートにスピードを出すことにエネルギーを使っていたんですよ。スケート技術がなかったから、本当に足のパワーだけで押して滑っていたんです。(佐藤)紀子先生はスケーティングを教えるのが上手なので、「ブレードのいい位置に乗れていれば、エネルギーを使わなくてもスピードは出る」と。それに気づいてからは大分ジャンプにも生きてきて、スタミナを使わずにいける感じになりました。

――ジュニアのころは、足で押していたんですか?

 そうですね、スケートの技術がなかったので。だからこそスケートもぶれるし、ジャンプも安定しなかった。なおかつスピードもあるので、着氷とかでも振り回されやすいところはあったんですけど、今はスケートのコントロールができるようになってきて、安定してきたという感じですね。当時は、スケートのスキルに対してあまり意識を向けていなかったので。紀子先生に師事してからそういった意識が向いてきて、徐々に乗る(ブレードの)位置もつかんできた感じです。

――佐藤紀子コーチと一緒にいるところを見ているとお母さんのようで、関係性がほほえましく見えます。

 紀子先生に師事したのは、中2の中盤ぐらいからです。紀子先生には僕だけじゃなくていろいろな生徒さんがいますけど、みんなのお母さんみたいな感じで。スケートで怒ることはなくて、誰かがスケート以外の場面で駄目なことをした時とかには怒る、みたいな。本当に生徒思いで、一生懸命指導して下さるいい先生です。

――反抗期はなかったのでしょうか?

 反抗期というか、自分がスケートに対して気持ちだけが先行して、誰も触れづらい時期がありました。その時、僕は飛び級をしようとしていたので、それをいい感じに止めて下さって「一歩ずつだよ」と教えてくれたのが紀子先生です。だから紀子先生に師事したのは自分のターニングポイントで、一つひとつ積み重ねていくことの重要性を意識して学んだのは、すごく良かったと思います。

「スケートの人気も、もちろん考えます」

メディア対応は「素を見てもらっているだけ」と自然体を貫く三浦 【スポーツナビ】

――このオフ、メディアにたくさん登場されている印象があります。フィギュアスケート全体の人気を考えてのことですか?

 やはりスケートの人気というものも、もちろん考えます。たとえば、昨季フリーの曲を『進撃の巨人』にしたのも、「フィギュアスケートファン以外にも楽しんでもらえるプログラムって何かな」と思った時に考えたものでもありますし。演技だけではなくて、選手が自分を知ってもらえるような話をすることで、人柄を知ってもらえば応援してもらえる感じにもなるのかなと思っていて。

――競技だけではなく、そういうところにまで目を配るのは大変ではないですか?

 自分も楽しくやっているだけなので。気を遣っているわけではなくて、とにかく自分の素を見てもらっているだけという感じなので、特段きついということはないですね。スケートも伴ってこそだと思うので、やっぱりバランスは保っていきたいです。トークだけが出てしまわないよう、スケートももっともっとレベルアップしていきたいと思っています。

――「ペッパーランチアンバサダー」にも就任されましたね。

 フィギュアスケートのイメージとはかけ離れているんですけど……。“スケートと肉”というなかなかに面白い組み合わせで、新しくていいかもしれないですね。全日本の時に僕が(胃腸炎のため)体重が落ちていて、「ペッパーランチで食べたけど、全然体重が戻らなかったです」という言葉が記事の見出しになったのが始まりで、そこからご縁があってこういった契約をしてもらうことになりました。やはり契約したからには、自分の活動とともにペッパーランチさんの宣伝もしていきたいですし、自分も氷を溶かすくらいの勢いで、熱さ満開でいきたいなと思っています。

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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