超攻撃的ウイングバックが生んだ大量得点 日本が最終予選の「鬼門」を突破した理由

大島和人

三笘は左ウイングバックで起用され、2点に絡んだ 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 日本代表にとって、ワールドカップ最終予選の初戦は鬼門だ。カタール大会の初戦(2021年9月2日)はホームでオマーンに0-1と屈している。ロシア大会に向けた最終予選(2016年9月1日)も、ホームでUAEに1−2と敗れた。しかも9月5日の埼玉スタジアム2002で日本と向き合った中国代表のブランコ・イバンコビッチ監督は、3年前にオマーンを率いていた指揮官だ。

 そもそも日本に限らず、最終予選のスタートは難しい。5日に開催されたアジア各国の初戦を見ると、日本と同じグループCではオーストラリア(世界ランキング24位)がバーレーン(80位)に敗れた。グループBでは韓国(23位)がパレスチナ(96位)と引き分けている。日本が中国に対してここまで圧倒的な点差、内容で勝てると予想していた人はほとんどいなかっただろう。

ウイングバックが5点に絡む

 しかし日本は7-0と大勝した。12分にコーナーキックから遠藤航がヘディングのゴールを決めると、さらに中国を攻め立てる。前半ロスタイムの47分には、堂安律が右大外から左足のクロスを入れ、三笘薫がファーサイドに飛び込んで頭で合わせた。

 日本は2-0のリードで後半に入るとさらに南野拓実が2点を決め、途中出場の伊東純也、前田大然が畳み掛ける。そして最後は久保建英がトドメを刺した。

 攻撃を牽引したのが「超攻撃的ウイングバック」だった。先発した堂安、三笘はどちらも攻撃でクオリティを発揮する選手で、守備の負担が大きい場所に置くのはオーソドックスな起用ではない。加えて交代で起用された伊東、前田も完全に攻撃的な選手だ。

 4人はボールを持てない、守備に追われる展開なら生きなかっただろう。もっとも日本は最後まで攻勢のまま試合を終えた。後半の中国は4バックの布陣を5バックに変え、日本のウイングバックを封じようとしたが、連携と個人技に太刀打ちできなかった。

 日本は7得点中5得点にウイングバックの選手がシュート、もしくはアシストで関わっている。さらに三笘(2点目)、前田(6点目)のゴールは、「ウイングバックがアシストしてウイングバックが決める」形だった。

 ウイングバックは攻撃の中でも「4人目」「5人目」のオプションで、通常ならあまりゴールには絡まない。しかし相手が中央を固めていたにせよ、中国戦はウイングバックが攻撃の切り札として決定機に相次いで絡んだ。

 左サイドで起用されていた三笘はこう振り返る。

「ウイングバックからのウイングバックは狙いでもありましたし、練習で言われていました。(相手のDFラインが)4枚だと見切れないところもあって、フリーになっていたので、毎回狙っていました」

堂安と久保が右サイドで見せた連携

堂安は技術だけでなく、状況判断が光った 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 同じ攻撃的なウイングバックでも、三笘と堂安では特徴が違う。スピードに恵まれた三笘は、スペースがある状況で突破力が生きる。堂安は「狭いスペース」を打開できるスキルの持ち主で、仲間が近い位置にいると相乗効果を生み出せる。実際に日本は左と右でまったく違う攻め方、崩し方をしていた。

 右サイドは堂安と久保が、左利きの技巧派という「似た者同士」で、息のあった連携を見せていた。堂安はこう説明する。

「タケ(久保)がボールを受けたがる選手なのは分かっているので、彼の良さも生かしてあげることを考えました。自分はゴール前でポジションを探しながらやるのも得意なので、彼の良さと自分の良さを出し合いながらのポジショニングでした。左の(三笘)薫くんは強力な個があるけれど、右は連携を出しながら違う形で攻めようというのは、チーム戦術に落とし込んでいます」

 堂安が外側、久保が内側という定位置に縛られず、二人は頻繁に入れ替わっていた。左利きの選手が右サイドに入ると「カットイン」のドリブルがどうしても増え、攻撃が単調になりがちだ。だが、この二人は「動き」「連携」で変化をつけながら、相手を翻弄していた。

 堂安はウイングバックとシャドーの関係性をこう分析する。

「俺が中に入ったときの方が、タケはフリーになります。最初の立ち位置は俺が外でタケが真ん中なので、ちょっと変化を加えるだけで0.5秒ぐらいですけど時間ができる。タケは多分好きに動いているので、自分はそれを見ながら合わせていました。今日は自分や薫くんのポジショニングで、(南野)拓実くんとタケがフリーになっているシーンがたくさんありました」

 久保も「ウイングバックの使い分け」をこう振り返る。

「伊東選手だったらシンプルだけど、堂安選手だったらコンビネーションというように、彼らの良さを出すことで、逆に彼らが僕にもたらしてくれます」

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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