F1オランダGPでノリス圧勝! マクラーレンの躍進を支える日本人エンジニア

柴田久仁夫

波乱の転職人生

ブリヂストン時代の今井(左)。右端はブリヂストンからフェラーリに移籍した浜島裕英 【©柴田久仁夫】

 今井はブリヂストンで乗用車用タイヤ開発を長年手がけ、2003年からはF1タイヤの開発を統率。フェラーリとミハエル・シューマッハのタイトル獲得に大きく貢献した。しかし2008年には退社を決め、F1チームで働くことを決めた。イタリアの技術センターでの6年間の駐在時代の充実ぶりが忘れられないからだった。

「こっちは個人主義というか、その人に任せると決めたら徹底的に信頼してくれる。そして雑事に惑わされず、集中的に仕事ができる。目的に向かって何がベストか、追求する日々でした。その充実感を再び味わうには、ヨーロッパという舞台に出て行くしかないと思いました」

 今井は当時のホンダF1チームへの転職を決め、フェラーリ時代から面識のあったロス・ブラウン代表からは、「タイヤ担当エンジニアだけでなく、足回りや運動性能の解析まで含めた役割を期待された」という。ところが契約も済ませ、労働ビザも下り、あとは渡英するだけというタイミングで、リーマンショックが襲来。ホンダはF1撤退を決めてしまう。

「ロスから夜中に電話がかかってきたのは、日本を発つ4日ほど前でした」。チームはブラウンGPとして再出発したが、大規模リストラが断行され、今井が加入する余地はなかった。普通なら途方に暮れるところだが、「今井というタイヤスペシャリストがフリーになっている」という情報はF1業界にすでに知れ渡り、ロスの口添えもあって、マクラーレンとの面接にこぎつけた。採用は即決だった。

「確かに勝てるのは嬉しいです。でも私自身は以前と同じ」

夏休みで一時帰国中の今井エンジニア(左)。FIA F2選手権に参戦当時、「お世話になりっぱなしでした」と語る松下信治と 【©柴田久仁夫】

 以来16年。タイヤ担当エンジニアからキャリアを再出発した今井は、すぐにレースエンジニアに昇格。2020年にはダイレクター・レースエンジニアという肩書きで、レース現場のエンジニアたちを束ねる立場となった。チーム代表のアンドレア・ステラに直属するポジションだ。

 ちなみにステラ代表はマクラーレンに移籍する前は、フェラーリでキミ・ライコネン、次いでフェルナンド・アロンソのレースエンジニアを務めてきた。2015年、アロンソと共にマクラーレンに移り、レーシングディレクターに。そして昨シーズンから、チーム代表に就任した。

 ステラの加入したマクラーレン・ホンダ時代、チームは表彰台どころか入賞もままならない長い低迷期に入っていた。その時期にインタビューした際の今井は、「もちろん成績が上向くに越したことはありません。しかしどんな状況でも、粛々と自分のやるべきことをやるだけですよ」と、語っていた。

 ステラもそんな今井の人柄に、厚い信頼を置いていたようだ。2022年末にアンドレアス・ザイドル前代表が突然辞任し、後任を依頼された際、「私がチーム代表としてやって行けるだろうか」と、真っ先に相談したのが今井だったという。

 そして就任2年目の今季、ステラ率いるマクラーレンはどのレースでも優勝を狙える強さを発揮するまで復活してきた。

 夏休みで一時帰国していた今井と、食事を共にした時のこと。「とうとうタイトルを狙える位置まで来ましたね」と話しかけてみた。すると今井は「確かに勝てるのは嬉しいです。でも私自身は以前と同じで、自分の仕事をしっかりやるだけですよ」と、少しニヤリとしながら答えたのだった。

(文中敬称略)

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著者プロフィール

柴田久仁夫(しばたくにお) 1956年静岡県生まれ。共同通信記者を経て、1982年渡仏。パリ政治学院中退後、ひょんなことからTV制作会社に入り、ディレクターとして欧州、アフリカをフィールドに「世界まるごとHOWマッチ」、その他ドキュメンタリー番組を手がける。その傍ら、1987年からF1取材。500戦以上のGPに足を運ぶ。2016年に本帰国。現在はDAZNでのF1解説などを務める。趣味が高じてトレイルランニング雑誌にも寄稿。これまでのベストレースは1987年イギリスGP。ワーストレースは1994年サンマリノGP。

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