F1ドライバーの本能を逆なでする、チームオーダーという不条理

柴田久仁夫

F1は本来ドライバーの戦いだった

絶対的ナンバー1ドライバーとして君臨したフェラーリ時代のフェルナンド・アロンソ 【©️柴田久仁夫】

 1950年に創設されたF1世界選手権は、当初から「ドライバーチャンピオン」を決めるシリーズだった。自動車メーカーが覇を競う、典型的な「団体競技」であるルマン24時間レースなどと比べると、「個人競技」の性格が非常に強かったスポーツと言える。

 1958年には、チームのチャンピオンシップであるコンストラクターズ選手権も制定された。とはいえ60数年経った今も、基本的に「F1はドライバーの戦い」であり、ファンの最大の興味もそこにある。

 しかしF1が世界中に中継され、大企業がこぞってスポンサーに名乗りをあげるようになった1980年代以降は、コンストラクターズ選手権の重要度が一気に増していった。選手権の順位によって、チームに入るTV放映権料が数億円単位で増減し、スポンサー収入にも大きな影響を及ぼすようになったからだ。

 その結果、個人としての成績を追求するドライバーと、全体の利益を重視するチームの利害がぶつかり合う事例が多く発生する。さらに今回のマクラーレンのように二人のドライバーを公平に扱うチームでは、チームメイト同士の確執も加わり、事態はいっそう複雑になっていった。

 ここ10年ほどの事例だけでも、たとえば2010年ドイツGPでのフェラーリは、レッドブルのセバスチアン・ベッテルとタイトルを争うフェルナンド・アロンソを勝たせるため、フェリペ・マッサに順位を譲らせた。

 この時のマッサはナンバー2ドライバーだったこともあって命令に従ったが、2013年マレーシアGPでのベッテルは、「最後のピットインの順位のままフィニッシュする」というレッドブルの取り決めを無視し、ペースを落としたマーク・ウェバーを抜き去って、優勝を奪った。レース後、クリスチアン・ホーナー代表は「ベッテルはチーム全体の利益より、個人の利益を優先した」と、勝者を非難した。

ドライバーの本能を制御できるのか

ハンガリーでは、ランス・ストロールがチームオーダーに背いて10位完走。11位に終わったアロンソは激怒した 【©️Aston Martin Aramco Formula One】

 しかしドライバーにしてみれば、勝ちたいという思いは本能的なものだ。それを「チームの利益のため」と抑えるのが、はたして健全な姿だろうか。

 現在のF1ドライバーは、個人の成績以上にチームへの貢献を求められる。エゴとチームワークの板挟みになった彼らが、時にチームオーダーを無視して突っ走るのは、むしろ当然というべきだろう。

 かなり古い話で恐縮だが、1982年サンマリノGPはその典型例だった。フェラーリのジル・ビルヌーブとディディエ・ピローニが1-2を形成し、3位以下に大差をつけていたことから、チームはそのままゴールしろというチームオーダーを出した。しかしピロー二はその指示を無視してビルヌーブを追い抜き、優勝してしまう。2週間後のベルギーGPでのビルヌーブの事故死は、この確執が遠因だった。

 ステラ代表は今回の一件で、「ノリスがこのまま順位を譲らない不安はなかったのか」と問われ、こう答えている。
「私はランドをよく知っているし、レーサーとしての側面とチームプレイヤーとしての側面の両方を持っていることも十分にわかっている。そして彼が最終的に正しい行動を取ってくれることもね」

 レース後、担当エンジニアのジョゼフは、「僕たちはこれから、どんどん勝てるから」とノリスを慰めた。しかしレーシングドライバーにとって、目前の1勝を逃した悔恨は、そう簡単に消えるものではあるまい。

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著者プロフィール

柴田久仁夫(しばたくにお) 1956年静岡県生まれ。共同通信記者を経て、1982年渡仏。パリ政治学院中退後、ひょんなことからTV制作会社に入り、ディレクターとして欧州、アフリカをフィールドに「世界まるごとHOWマッチ」、その他ドキュメンタリー番組を手がける。その傍ら、1987年からF1取材。500戦以上のGPに足を運ぶ。2016年に本帰国。現在はDAZNでのF1解説などを務める。趣味が高じてトレイルランニング雑誌にも寄稿。これまでのベストレースは1987年イギリスGP。ワーストレースは1994年サンマリノGP。

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