サッカーと野球~プロスポーツにおけるコンバートの意義

コンバート成功者ランキング【日本サッカー編】 1位は偉大な2人のボランチを抑えて……

土屋雅史
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プロ入り当初はともにドリブラーだった中村(左)と興梠(右)。いずれも監督の慧眼によって異なるポジションにコンバートされ、日本代表にまで上り詰めた 【Photo by Hiroki Watanabe/Getty Images】

 配置転換を機に大成した選手をランキング形式で紹介する、「コンバート成功者ランキング」。前回の「ワールドサッカー編」に続いてお届けするのは、「日本サッカー編」だ。トップ10にはのちに日本代表にまで上り詰めた名手だけでなく、通好みの選手もチョイスされている。そして、偉大な2人のボランチを抑えて1位に選ばれたのは、あのレジェンドだった。
★=現役選手

“以前”の印象が強く残る選手を

 プロになるようなレベルのプレーヤーであれば、シビアな世界で活躍できるか否かは、ほんの些細なきっかけ次第だと思う。そのポテンシャルを、その適性を見極めてくれる誰かと、いつ、どこで出会えるか。

 会社でも配置転換はよくある話。ただ、サッカー選手にとってのそれ=コンバートが、より人生を変え得る可能性を秘めていることは、今までの歴史が証明している。

 ここでは日本サッカー界という大きな括りを設け、「日本のコンバート成功者トップ10」を主観で作成した。選考基準の軸はコンバート以前と以後の変化の幅の大きさ。とりわけコンバート以前の印象が強く残る選手を多く挙げている。

 なお、コンバートのタイミングはプロになって以降のものとした(例外が1人だけ)。ゆえに大学時代にボランチからサイドバックへポジションを移した長友佑都(FC東京)や、高校時代にトップ下からセンターバックへ主戦場を変えて花開いた田中マルクス闘莉王(元名古屋など)らは、基本的に除外している。

10位:三浦颯太(川崎F/日本代表)★

 帝京高でボランチやトップ下を務めていた三浦が、左サイドバックにコンバートされたのは日本体育大1年の夏頃。当時はBチームのサイドハーフで燻っていたが、たまたま先輩の教育実習や怪我が重なり、Aチームの左サイドバックとして起用されると、元々持っていた攻撃センスとプレービジョンがマッチ。そこから4年あまりで日本代表まで駆け上がった。

 いきなりの例外で恐縮だが、高校時代の「痩身のゲームメーカー」というイメージと、現在の「スピード豊かなサイドバック」のイメージのギャップが大きすぎるため、今回のリストに加えている。
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著者プロフィール

1979年8月18日生まれ、群馬県出身。高崎高3年時にインターハイでベスト8に入り、大会優秀選手に選出される。2003年に株式会社ジェイ・スポーツへ入社。サッカー情報番組『Foot!』やJリーグ中継のディレクター、プロデューサーを務めた。21年にジェイ・スポーツを退社し、フリーに。現在もJリーグや高校サッカーを中心に、精力的に取材活動を続けている。近著に『高校サッカー 新時代を戦う監督たち』(東洋館出版社)がある。

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