連載:最先端レフェリング論

[金曜特別コラム]最先端レフェリング論(1) サッカーの誤審に怒る前に知っておくべきカラクリ

木崎伸也

「解釈の余白」と「裁量権」

AFC U-23アジアカップで西尾隆矢が一発退場となったのも記憶に新しいが、この大会はアジアサッカー連盟の基準で判定が行われていた 【写真:REX/アフロ】

 2つ目の「知っておくべきこと」は、大陸連盟ごとにルールの解釈が異なる場合もあるということだ。

 佐藤は言う。

「たとえばハンド1つをとっても、FIFA(国際サッカー連盟)、UEFA(欧州サッカー連盟)、僕ら(JFA)で異なる解釈が出てくる場合があります。競技規則は同じですが、解釈の裁量がそこにはある。半年で解釈が変わることもありますよ。国際大会で笛を吹くレフェリーはそれにアジャストしなければなりません」

 つまりサッカーファンも大会やリーグごとにアジャストが必要なのである。W杯で正解とされた判定が、Jリーグでは異なる解釈になりうる。

 そして3つ目は「審判は個性も大事」ということだ。

「審判にはある程度の範囲内でジャッジの裁量権があり、サッカー観や哲学に関してそれぞれ個性があります。W杯にはトップカテゴリーのレフェリーが集結しますが、それぞれ試合中の対応の仕方が全然違いますからね。

 そういう個性が、ピッチ上の存在感、いわゆるプレゼンスとなって表れます。ここ一番という場面で、どれだけ存在感を発揮して選手たちを納得させられるか。特に国際大会ではプレゼンスがすごく重視されます。

 僕は交換プログラムでイングランドへ行ったことがあるんですが、そのときもプレゼンスの大切さをすごく言われました」

 プレゼンスを上げる手段として、肉体を鍛え上げるレフェリーもいる。

「単に筋肉を大きくすればいいわけではないのですが、体をしっかりつくって見た目を良くするのは大事だと言われています。僕もそう思います。ぶよぶよの太った体で言われても、説得力がないじゃないですか。国によっては、試合ごとに体重計に乗り、基準の体脂肪率を超えていたら外されるという例もある。見た目によって説得力や受け入れられ方が変わるので、レフェリーの多くはそこも取り組んでいると思います」

 ルールそのものに解釈の余白があり、さらに審判の考え方に個性が認められている。つまり「議論の分かれる」グレーゾーンをなくすことは不可能である――。その前提を受け入れたうえで試合を観るべきなのだ。

 審判のジャッジに物申すときは、まずは「自分の視点」と「審判の視点」がそれぞれグレーゾーンのどこに位置するかを考えるべきだろう。

<次回に続く>

※リンク先は外部サイトの場合があります

2/2ページ

著者プロフィール

1975年、東京都生まれ。金子達仁のスポーツライター塾を経て、2002年夏にオランダへ移住。03年から6年間、ドイツを拠点に欧州サッカーを取材した。現在は東京都在住。著書に『サッカーの見方は1日で変えられる』(東洋経済新報社)、『革命前夜』(風間八宏監督との共著、カンゼン)、『直撃 本田圭佑』(文藝春秋)など。17年4月に日本と海外をつなぐ新メディア「REALQ」(www.real-q.net)をスタートさせた。18年5月、「木崎f伸也」名義でサッカーW杯小説『アイム・ブルー』を連載開始。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント