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クロップがリバプールに愛された理由 過激でアナーキーなフットボールと、人間の善意を信じる精神性

森昌利

現地時間5月19日今季最終戦。この日がリバプールの監督としてのラストゲームとなったクロップは、8年7カ月に及ぶ在任期間にクラブ、街、サポーターに何をもたらしたのか 【Photo by Wolverhampton Wanderers FC/Wolves via Getty Images】

 マンチェスター・シティがウェストハムを下し、史上初の4連覇を達成した5月19日(現地時間、以下同)のプレミアリーグ最終節。ウォルバーハンプトンをホームに迎えたリバプールは2-0で勝利を収め、マンチェスター・Cと9ポイント差の3位でシーズンを終えた。今季限りで退任するユルゲン・クロップ監督にとってはこれが最後の試合であり、終了時間が近づくとアンフィールドは異様な空気に包まれた。

クロップの名前を連呼する“普通”でない光景

 No, I don’t think it’s normal.

 これが、ユルゲン・クロップがリバプール監督として最後に臨んだ記者会見で開口一番に放った言葉だった。「本当にこれが普通だなんて全く思わない」。8年7カ月前に自分を“ノーマル・ガイ”(普通の男)だと言ったドイツ人が最後のアンフィールドを語った、感慨のこもったコメントだった。

 本当に、全く普通じゃなかった。

 試合が87分目に突入したあたりだった。もう待ちきれないとばかりに、アンフィールドを真っ赤に染めたサポーターたちが「ユルゲンがレッズで良かった」とチャントしはじめた。これがアディショナルタイムの5分を含めて、試合終了のホイッスルが鳴るまで続いたのである。

 愛する監督との別れを惜しむサポーターが声をからして、その名前を叫び続けた。プレミアリーグの取材を始めて23シーズン目が終わったが、こんな光景を目撃したのは初めてだった。全くもって“普通”とはかけ離れた場面だった。

 クロップはアンフィールドで自分の名前が連呼されることをずっと拒んでいた。しかし欧州チャンピオンズリーグで優勝し、クラブW杯も制し、悲願のプレミアリーグ優勝も果たして、通算6つのトロフィーを勝ち取った2022年5月には、サポーターもそんな謙虚すぎるボスの意思に従うことができなくなった。

 そしてリバプールの永遠の誇りとも言えるビートルズが“愛する彼女に恋しているから僕は大丈夫”と歌った1964年のヒット曲『I FEEL FINE』のメロディーに、“愛するユルゲンがいるから僕は大丈夫”とチャントを乗せた。

 しかしそんな、ビートルズとクロップを融合させるという、リバプール愛が強烈に反映されたチャントもわずか2年しか唱えることができなかった。

カウンター・プレスのフットボールと完全にシンクロした

クロップの代名詞であるカウンター・プレス。驚異的なフィットネスを基盤とするこの戦い方で、国内外の強豪を次々と打ち破るチームにサポーターは熱狂した 【Photo by Wolverhampton Wanderers FC/Wolves via Getty Images】

 勇退を発表したクロップは、「くれぐれも試合中に私のチャントを歌うようなことはしないように」とファンに釘を刺した。1月26日というシーズン半ばの発表で“自分にスポットライトを当てすぎる”という批判もあった。ファンからすればそれは心ない批判だった。クロップ自身もそう言われるのが一番辛かっただろう。だからチャントを封印した。

 けれども最後の最後の瞬間、これでもうクロップ本人が指揮するアンフィールドで“このチャントが歌えない”と自覚したサポーターは、20秒ほどで終わる一節を、試合そっちのけで7分以上にわたって繰り返した。

 それは記者席にいても、頭のなかでクロップの思い出がぐるぐると回り出し、本当にくらくらとめまいがするくらい、普通じゃない、非日常的な、ものすごく大勢の人間の思いがひとつにまとまらなければ実現できない、夢のような空間と時間だった。

 すると――これはもちろん筆者だけではないと思うが――どうしてこのドイツ人がこれほどまでにリバプールに愛されたのだろうかと、めくるめくチャントのなかで深い思考に沈み込んでしまったのである。

 まず浮かんだのがクロップのカウンター・プレスだった。ドイツでゲーゲン・プレスと呼ばれるプレス殺法は、本来相手にボールを持たれて守るべき場面を攻撃の起点に変えて、対戦相手を震え上がらせた革命的な戦法だった。

 これはクロップがドイツでバイエルン・ミュンヘンというとてつもない一強を破るために考案したものだった。資金的に圧倒的優位に立つビッグクラブのクオリティと技術に対抗するために、選手のフィットネスと反射神経を徹底的に鍛えて、それまでなら試合終盤になって同点、もしくは勝ち越しを狙う場面になって初めて繰り出す波状型のプレスを常に繰り出すチームを創造した。

 追い詰められて初めて使うプレスを常時繰り出す。これは大きな発想の転換だった。この発想の根源には、W杯で世界中を度々驚愕させた、どんな状況になっても諦めない、ドイツ代表の底なしのスタミナに支えられた不撓(ふとう)不屈のフットボールがあったに違いない。

 こうした体力の限界に挑戦し続けるようなフットボールを実現するには、あの体格と同様、人並み外れた大きな人格が不可欠だっただろう。人並み外れて情熱的で陽気で、公平で、寛容だが厳しい。そんな特異なクロップのカリスマ性が役に立ったはずだ。この監督でなければ、やる方にしてみればあれだけきついフットボールを遂行することはできなかった。

 選手がこの常識破りの超過激なフットボールを会得するには少々時間がかかった。しかしクロップのリバプール・デビューシーズンのヨーロッパリーグ準々決勝の第2レグで、古巣のドルトムントを相手に新たな伝説をクラブ史に刻み込む大逆転勝利を飾り、サポーターの心をガッチリとつかむと、そこから徐々に、しかし明確にタフなカウンター・プレスのチームを作り上げていった。

 そうして2018-19シーズンからこのスタイルで金満クラブの華麗なフットボールを蹴散らしはじめた。今度はバルセロナを相手に伝説のヨーロピアンナイトを作り出し(19年5月7日のチャンピオンズリーグ準決勝第2レグ)、欧州王者となった。すると、イングランドのなかで鬼っ子扱いされ、非常にアナーキーな存在であるリバプールっ子、いわゆる“スカウス”(地元名物であるごった煮のようなシチューに由来するリバプール人の愛称)がクロップに心酔し、そのカウンター・プレスのフットボールと完全にシンクロした。

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著者プロフィール

1962年3月24日福岡県生まれ。1993年に英国人女性と結婚して英国に移住し、1998年からサッカーの取材を開始。2001年、日本代表FW西澤明訓がボルトンに移籍したことを契機にプレミアリーグの取材を始め、2023-24で23シーズン目。サッカーの母国イングランドの「フットボール」の興奮と情熱を在住歴トータル28年の現地感覚で伝える。大のビートルズ・ファンで、1960・70年代の英国ロックにも詳しい。

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