クロップがリバプールに愛された理由 過激でアナーキーなフットボールと、人間の善意を信じる精神性
手痛い敗北を喫してから栄冠をつかみ取る
2018-19シーズンにわずか1ポイント差で優勝に手が届かなかったリバプールは、翌シーズンに圧倒的な強さで覇権を勝ち取り、30年ぶりにリーグタイトルをもたらしたクロップは伝説となった 【写真:代表撮影/ロイター/アフロ】
しかも労働者の街。だから、現在においても階級が明確に存在するイングランド社会に君臨する上流階級に対し、“嫌悪”と呼んでも過言ではない激しい反発心がある。
この街ではdown to earth=言動と行動が一致する誠実さ、率直さが最も尊ばれる。上流階級出身の二枚舌は許せない。保身のための嘘を政治的なテクニックとでも思っている一部の保守党議員が大嫌いなのである。
比較的愛国心の強いイングランドで、国歌にブーイングするのはスカウスだけだ。1989年4月15日に「ヒルズブラの悲劇」(シェフィールドのヒルズブラ・スタジアムでの凄惨な群衆事故)が起こり、警察、そして保守党系メディアによって、97人が犠牲となった大事故の原因が「チケットを持たない大勢の泥酔したリバプールのサポーターにあった」と責任転嫁された。さらには「死人の懐から財布を盗んでいた」という、卑劣で残酷な証言も飛び出し、まさに冤罪というべき非難の十字架を背負わされてしまった。この時の政権を握っていたのも、リバプールを敵視するマーガレット・サッチャー首相の保守党だった。
伝統的に住民が労働党にしか投票しないエリアである。すると、保守党が勝てば当然のように地域のさまざまな予算が削られる。2010年から現在まで14年も保守党政権が続いているが、そのせいでリバプールは困窮するばかりなのだ。
そんな土地柄だから、クロップのアナーキー極まりない、立て続けにジャイアント・キリングを実現するフットボールが出現すると、まるで瞬間湯沸かし器のように一瞬にしてスカウスが沸騰した。
しかも、叩かれても、叩かれてもそこから這い上がっていくという経緯があった。欧州チャンピオンズリーグを制する前年、スペイン代表DFセルヒオ・ラモスにエースのマハメド・サラーを壊され、レアル・マドリーに負けていた。欧州を制した2018-19シーズン、97ポイントというこの時点でプレミア史上3位の勝ち点を奪取したにもかかわらず、98ポイントのマンチェスター・シティに1ポイント及ばずにプレミアリーグ制覇を逃してから、翌2019-20シーズン、目も眩むような強さを見せて99ポイントのぶっちぎり優勝を果たした。一度手痛い敗北を喫してから栄冠をつかむというプロセスが、強者、権力者に叩かれ続けても、潰されずに頑固一徹で立ち向かっていくリバプール人の気性と完全に一致した。
確かに一度は負けた。しかし全力を搾り出すクロップのカウンター・プレスだからこそ、厳しい勝負の世界で、負けてもいい、許せると思わせた。そして結果的に、心が壊れるような負けを経験しても、そこから必ず這い上がって栄冠を手にしたのだから、これはたまらない。
金も名誉もなくてもクロップのリバプールが勝てば幸せ
クロップとの惜別の試合となったウォルバーハンプトン戦。アンフィールドに詰めかけたサポーターは、夢のような時間を与えてくれた英雄を称え、彼との別れを悲しんだ 【写真:ロイター/アフロ】
しかし世界で最もクリエイティブな25歳のサイドバックがそう語ったのは、スタート時点では弱者であるチームが知恵と体力と情熱を振り絞り、鍛え上げられ、最後には強者を凌駕して栄光をつかむクロップのフットボールが顕在化されるには、七転び八起きのプロセスがあることを身をもって知っているからに違いない。
だからこそ、そうやって血の滲むような努力を重ねてつかんだ勝利には、金満補強によって得たそれよりも価値があるというものだ。
そしてもう一つ、クロップが愛された決定的な理由は、この髭面の大男が人間の善意を信じる愛情深い人間であることにある。
人間なら誰の心にも善意と悪意が存在する。その善意と悪意のスイッチを切り替える感情がある。妬みや嫉み、悲しみや怒り、憤り、恐怖、そんな感情は人間の悪意のスイッチを押す。一方、希望や喜び、楽しみ、笑いを誘うような愉快な感情は善意を呼び起こす。
クロップは無骨に、徹底的に、明るく、そしてユーモアたっぷりに、完全に善意に寄り添った。もちろん、他のクラブのサポーターには異論もあるだろう。しかしリバプール・サポーターは、結局はクロップが「疑いを捨て、信じるのだ」と言い放ったことに尽きるが、ネガティブを寄せつけず、常にポジティブな善意に焦点を当てた言動に魅了された。
30年ぶりにイングランド・チャンピオンの座をリバプールに持ち帰り、神になったクロップが言えば、それは負け惜しみではなく希望である。そしてその精神の根本には、金銭的な損得や成功の度合いばかりに目が行き、豊かな者が勝者で貧しい者が敗者という、世間的な、わかりやすい偏見に対するアンチテーゼがある。金も名誉もなくてもクロップのリバプールが勝てばスカウスは幸せなのだ。
そんな監督を送り出すのだから、アンフィールドは大変なことになった。全くもって普通ではなかった。近年では解任で発生する違約金が莫大すぎて、自ら辞任する監督は希少だ。しかしクロップは本人にしかわからない自らの限界を悟ると、誰も全く辞めてほしくない状況とタイミングで、辞任した。
そんな監督だからこそ、時には厳しい質疑応答があった記者団とのリバプール監督として最後の会見後、万雷の拍手が会場にこだました。
それも“過激極まりないアナーキーかつ傍若無人なフットボールと人間の善意を信じる精神性の融合”と言うべき、今こうして文字にしただけでも心が躍る、そんなユルゲン・クロップとの8年7カ月があったからこそだった。
(企画・編集/YOJI-GEN)