秋田・田口選手が振り返る2度の被災経験 支援活動の継続と自らのプレーで「笑顔、希望」を

大島和人

【(C)B.LEAGUE】

 B.LEAGUEは日本バスケットボール選手会などとも連携して「被災地復興支援」「防災」の両面で様々な活動を行っている。例えば2023年から開催されている「そなえてバスケ supported by 日本郵便」は防災を目的とした取り組み。クラブや選手が持つ発信力、地域を巻き込む力を活用し、社会の防災意識を高める狙いで行われている活動だ。その一例が「ヤフー防災模試」を活用したファン防災アクションで、皆さんの日常生活の隙間に、楽しみながら災害に「そなえる」ための仕掛けだ。

 今回は防災をテーマにしたインタビューを、秋田ノーザンハピネッツの田口成浩選手にお願いしている。明るいキャラクターと笑顔、そして「おいさー!」の掛け声でおなじみの彼は、チャリティーに対する協力的な姿勢でも知られている。さらに東日本大震災、昨夏の水害など、自ら「被災者」の立場も経験していた。

 田口選手が「ヤフー防災模試」の受験や自らの被災経験、チャリティーへの参加を通して何を感じ、何を学んだか? そして今あらためてファンの方に伝えたい想いは何か? バスケットボール、B.LEAGUEを愛する皆さんにぜひお読みいただきたい内容だ。
――「ヤフー防災模試」は受験されましたか?

 受験しましたが、かなり難しかったです。「こっちが正解だったのか」みたいな誤答が続いて、色々なことをもっと知らなければと改めて思いました。

 例えば速習編に「大雨洪水警報が発令されたとき、避難先として候補になるのはどこか?すべて答えよ」という質問がありました。指定避難場所と、あと「遠くて安全な友人の家ならいいのかな」と思ってそれも選択したら、それだけでは駄目で……。少し難しいなと感じました(苦笑)

――点数はいかがでしたか?

 100点中15.6点で、まったく当たらなかったです。

――「防災に関する知識を増やさねば」という感覚は芽生えましたか?

 今までは「知ったか」をしていた感じですね。「大丈夫だろう」「大体合っているだろう」という感覚でやっていたら、恥ずかしい点数になってしまいました。しっかりとした知識を持って、来たるべき災害に備なければいけないなと強く思いました。

(左)参加クラブの選手も受験 (右)ヤフー防災模試の一例 【(C)B.LEAGUE】

――1月1日には能登半島地震が発生しました。かなり多くの犠牲者、被災者が出て、まだ復旧はスタートしたばかりです。チームメイトなどと、能登半島地震について話をしたことはありますか?

 僕のチームには赤穂雷太という(能登半島の)七尾出身の選手がいます。すぐに連絡をして「大丈夫か!?」と話をしました。雷太は秋田にいたと思いますが、ご家族が大変ということで、「何かできることがあったら言ってね」と伝えました。

 話が少し変わってしまいますけど、2011年3月11日に東日本大震災が起こったとき、僕はちょうど岩手にいました。その恐怖はよく知っていたので、本当に他人事ではないなと感じました。能登半島地震の直後にアウェーで広島ドラゴンフライズと試合をやったとき、「おりづる賞」をいただいたんですが、それはすべて能登半島の募金に寄付しました。

(※おりづる賞:広島ドラゴンフライズのホームゲームで、最もフェアで誠実なプレーをした選手を表彰する賞)

――富士大のご出身ですから、当時は岩手県花巻市にいらっしゃったわけですか?

 そうです。大学4年になる直前でした。練習が終わって、家で休んでいたときです。震災の2、3日前から地震があったので、「同じ感じかな」と思ったら、もうどんどん強くなって……。物も倒れていましたし、すぐアパートから出ました。同じアパートにバスケットボール部の同級生もいたので、揺れが収まったあとには「とりあえず集まろう」と話して、8畳に10人くらい集まっていました。狭い場所に人が10人いるとちょっと暖かくなるんですね。

――食べ物がないとか、そういう経験も実際にされているわけですよね。

 食料を配っているところまでもらいに行って、みんなで分け合いながら過ごしていた記憶があります。水も出なかったですし、停電は1週間近く続きました。

――能登半島地震については、秋田ノーザンハピネッツも募金活動をしていました。

 1月20日が(震災後)最初のホームゲームで、その日から2月10・11日の三河戦まで、募金活動をやりました。

――田口選手も募金箱は持っていらっしゃったのですか?

 赤穂雷太と、同じく石川県出身の元田大陽がいるので、この二人が担当しました。

ホームゲームで募金活動をする赤穂選手(左)と元田選手(右) 【(C)B.LEAGUE】

――田口選手は昨年まで日本バスケットボール選手会の会長をされていましたし、B.LEAGUE Hopeの活動で、復興支援活動に携わった経験があるとお聞きしています。

 僕は東日本大震災の被災地で、何度かチャリティーイベントに参加しています。行ったことがあるのは岩手の大槌町と、陸前高田市と、宮城県の閖上(名取市)ですね。現地に行って子供たちと触れ合って、僕たちが元気を届けようという活動ですけど、帰り際には僕らが元気をもらって帰るみたいな感じでしたね。

 それと現地の方から「津波がここまで来ました」「復旧の現状はこうです」といった話も色々と聞きました。

 子供たちの喜んでいる顔がありましたし、親御さんも「すごく良かった」と言ってくださったので、「これは続けていくべき活動だな」と考えています。今シーズンのオフにはB.LEAGUE Hopeとも連携して石川県、能登半島で何かできないかな?と考えています。

――他の選手からも「子供たちを元気づけようと思ったら、逆にエネルギーをもらう」と聞いたことがあります。

 特にバスケをやるときはそんな感じですね。あとは大人の方ですが、当時の話を悲しそうにするというより、「今はもう、本当に前を向いて頑張っている」というトーンで説明してくれるんです。明るく説明してくださるのを聞いたときに、何かこうグッとくる感じがありました。「俺は小さいことでヘコんでいるけど、この人たちは悲しいことがあったのにもかかわらず、前を向いて過ごしている」と、逆に勇気づけられました。

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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