能登半島地震を受けて北陸からの声 富山グラウジーズ・水戸健史の考える「B.LEAGUEができること」

大島和人

水戸健史選手が取材に応じてくれた 【(C)TOYAMAGROUSES】

 2024年1月1日午後4時10分、最大震度7の大地震が北陸地方を襲った。石川県・能登半島北部の輪島市、珠洲市では多くの人命が失われ、建物やインフラの損壊も起こった。震災からそれなりの月日は経ったが、まだ災害からの復興はスタートが切られたばかりだ。

 B.LEAGUEは「B.LEAGUE.Hope」と題する社会・地域への貢献活動に取り組んでいる。「そなえてバスケ supported by 日本郵便(※詳細は下記リンク参照)」のような、バスケを通じて防災意識向上を目指す取り組みも行っていた。

 能登半島地震を受けて、リーグや各クラブは既に募金活動などに取り組んでいる。しかしこのような支援だけでなく、B.LEAGUEだからこそ、プロバスケだからこそのユニークな貢献もあるだろう。選手が全力プレーで勇気を与えること、ファンが消費活動で石川県や北陸を経済的に潤すことも「貢献」かもしれない。

 今回は富山グラウジーズの水戸健史選手がインタビューに協力してくれた。水戸選手は富山県南砺市出身の38歳で、富山グラウジーズ一筋の16シーズン目という「富山の象徴」的な存在だ。彼には能登半島地震への受け止めと「B.LEAGUE、B.LEAGUEの選手ができること」について語ってもらっている。

※リンク先は外部サイトの場合があります

――1月1日に能登半島地震が発生しました。水戸選手ご自身は地震のときどういう状況で、どう受け止められましたか?(富山県内も富山市、高岡市などで「震度5強」の揺れが観測されている)

 お昼くらいに(12月30日、31日に試合をした)北海道から帰ってきて、南砺市の実家に車で行っていたときでした。ちょうど初詣に行こうかなと、車に乗っている最中に、地震速報が来て、揺れ出しました。(車に乗っていても)はっきり分かる揺れでした。富山県はそんなに地震がない地域なので、今回は自分が経験した中でも一番大きな地震でしたし、驚いたというのが正直な感想です。

 石川県の珠洲や輪島があれほど大変な状況になっていることは、まったく分かりませんでした。あとからニュースで知ってショックでしたし、衝撃を受けました。

――能登半島の北側、先端部に比べると小規模な被害だとは思いますが、水戸選手のご実家やお住いの周辺も影響は出ていたのでしょうか?

 実家から自宅には普通に戻れたのですが、家に戻ると物が落ちていたり、近くの家の塀が崩れていたりしていました。僕の家は(富山市のすぐ西にある)射水市ですけど、家の近くは液状化現象がありました。

――チームは1月6日と7日に富山市総体(富山市総合体育館)で試合をしました。準備も含めてそちらへの影響はいかがでしたか?

 おそらく体育館の確認、点検が必要で、練習に使えない日はありました。ただ試合は問題なくできました。体育館を使えないのは1日か2日で、その間は開いているジムで体を動かしたように記憶しています。

――ホームアリーナがある富山市の今の状態はどうですか?

 富山県でも(北西部にある)氷見市の方はかなり被害があって大変だったと思います。ただ富山市はもう既に日常の状態なので、観戦や観光に来ていただいても大丈夫です。1週間2週間は余震がありましたけど、今は落ち着いています。ホテルにキャンセルが出て、観光業はすごく大変だとも聞いています。富山は美味しいものもたくさんありますし、ぜひ来てください。

バスケでふれあい、戻った笑顔

ホームゲームでの募金活動の様子 【(C)TOYAMAGROUSES】

――今回の地震を受けて、チーム内外で何か取り組みはされましたか?

 チームの募金活動もありましたけど、富山に避難してきた家族がいて、そこの子供がバスケをやっているというので、自分は一緒にバスケをしました。

――そのご家族とはどうつながったのですか?

 僕の知り合いの親戚が(石川県の)珠洲で被災して、家族で南砺市にしばらく避難してきていました。その知り合いから連絡をもらって「一緒にバスケをしてあげて」と言われて、行くことを決めました。通訳をしている酒井(達晶)は石川の出身です。東(宏輝)とスタッフにも声をかけて、4人で南砺に行きました。

――どのタイミングで、どのようなことをやったのですか?

 行ったのは1月13日の土曜日です。B.LEAGUE ALL-STAR GAMEがあって試合の無い週末で(練習が)休みの日でした。避難してきた中学生の子2人と一緒に、小さい体育館を借りて6人でバスケをしました。選抜に入っていて、かなり上手な子だったんですけど、まず一緒にワークアウトをしました。それから3対3をハーフコートでやって、最後は僕の子供とか小さい子を入れてオールコートで5対5をしました。遊び半分、ガチ半分みたいな感じでしたね。

珠洲の少年2人と富山の選手、スタッフ計4人がバスケを通じて触れ合った 【(C)TOYAMAGROUSES】

――バスケ少年にとっては素晴らしい経験だったと思います。どういう反応がありましたか?

 その子のお母さんから、また連絡が来ました。「地震が起きてから笑えなかった、笑顔がまったくなかったけど、そのバスケで初めて笑えた」と聞いて、「やってよかったな」と思いました。すごく嬉しかったですし、「そういうことを、もっとやりたいな」とも感じましたね。自分も改めて「バスケって楽しいな」と思いました。

 あとその子たちがその後の千葉J戦を見に来てくれて、応援してくれて、それがすごく嬉しかったです。避難してきた子を受け入れている学校があって、今は金沢に行っているみたいです。

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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