バドミントン、五輪レース続行の福島由紀「やり切ることが大事と思っていた」=単独インタビュー

平野貴也

パリ五輪出場を目指す福島。一度は諦めた道を再び歩む 【筆者撮影】

 福島由紀(丸杉)は、強い葛藤を抑え込んでいた。バドミントン女子ダブルスで廣田彩花(丸杉)と「フクヒロ」ペアを組む福島は、2023年5月から24年パリ五輪出場権獲得レースを戦い、日本勢2番手をキープしている。日本勢は、世界ランク上位に3組。出場権を得るには、日本勢最上位か、五輪レースランクで8位以上で日本勢2番手以内の条件を満たす必要がある(日本勢の五輪レースランクは、志田千陽/松山奈未が3位、福島/廣田が7位、松本麻佑/永原和可那が8位=1月16日更新時 ※23日更新で松本/永原が福島/廣田を抜いて日本勢2番手に浮上の見込み)。

 しかし、23年12月、インドで行われたシドモディ・インターナショナル(BWFワールドツアースーパー300)の準決勝で、廣田が左ひざを痛め棄権。左ひざ前十字じん帯断裂の診断を受けた。一度は手術をする方針が発表されたが、年が明けると、手術回避への方針転換が発表された。

 一度は諦めざるを得なかった目標に再び挑むことになったが、福島は複雑な気持ちを抱えたままだった。必死に消した闘争心は、きっと戻ると福島自身が信じているが、簡単には再燃させられないようだ。揺れ動いた廣田の決断をどう受け止め、いかなる決意で残る五輪レースに挑むのか。1月4日から練習を再開した福島に話を聞いた。

好調時に見舞われた、東京五輪前と同じ悪夢

――最初は、廣田選手がケガをする前の話を聞きます。11月の中国マスターズ(BWFワールドツアースーパー750)準決勝では、世界ランク1位の陳清晨/賈一凡(チェン・チンチェン/ジァ・イーファン=中国)を90分の長い試合で撃破。五輪レースの終盤に向け、手応えをつかんでいましたよね。

 あのペアに勝つには、かなり消耗させられるなと感じましたけど、相手のプレーが悪い状況ではなく、互いに力を出し合う中で勝てたことは、大きなポイントでした。レースが始まってから(優勝がなく)ずっとモヤモヤしていましたが、あのペアに勝ったことで、まだまだ戦えるという気持ちになりました。

――しかし、翌週のインドで、廣田選手が大ケガをしてしまいました。

 中国の大会で私がわき腹を痛めてしまい、翌週のインドでは(本来は後衛の)私が前衛に入って、廣田が後ろをカバーしてくれる形でした。後ろの廣田が倒れるところを見ていなかったので、ねんざかなと思って「捻った?」と聞いたら、廣田が「いや、ひざが……」と言ったので、多分(大ケガを)やっているなと思いました。東京五輪の前(※21年東京五輪の前に、廣田は右ひざ前十字じん帯損傷を負い、東京五輪にはプロテクターを装着した状態でプレーした)も、倒れ方は違いましたけど、同じ会話。デジャブ(既視感)かと思いました。「歩けないかも」と言われて、同じことが起きたのだろうと思いました。

――手応えを得ている中、五輪レースが難しくなる可能性をどう考えましたか?

 どう思っていたかな……。もし(廣田が手術をせず、保存療法で)やるんだったら、東京五輪のときみたいになるだろうし、手術になれば、もう(五輪出場は)ダメなんだなと。割と、あっさり考えていたかもしれません。

挑戦を諦めることを受け入れるのが難しかっただけに、思い起こす度に感情が揺れた 【筆者撮影】

――挑戦が終わるかもしれない怖さ、悔しさは?

 うーん……。悔しいというか、戦えずに終わるのか……とは、思いました。それなら、戦って、でも五輪には出られませんでしたという形の方が良かったな、それなら、しょうがないと思えるなって。それは、すごく考えました。やり切れないのか、やらせてもらえないんだ……という気持ちが、一番きつかったです……。ケガをしてしまったことは、廣田が悪いわけではないです。疲労は絶対にあったので、それを軽減する方法がほかになかったかな、自分が中国でケガをしていなければ(いつも以上の負担をかけずに)起こらなかったかなと考えもしました。でもインドにいるときから、トレーナーさんや、吉冨桂子コーチから「あまり思い込み過ぎないでね」と言われていましたし、どん底まで気分が沈んでしまう状況にはならずにいました。

――負傷した廣田選手が「自分のせいで」と思うはずだ、と考えましたよね?

 はい。自分がケガをしたせいで、もう(五輪に)出られないとか、申し訳ないとか、絶対にそう思っているだろうなという感じがありました。だからこそ、どう考えているのかなと思っていました。「これから、どうして行く?」とかは、何も聞きませんでした。診断を受けた後、12月10日にS/Jリーグの小田原大会があって、私はチームに帯同しました。廣田も一緒に行く案もありましたけど、足を引きずっていかないといけないし、大会に来ている人も見ることになるので、廣田は帯同せずに、自分の気持ちを整理しておいて、ということになりました。

 廣田がケガをしてから、都度、どう思ったかを聞き続けた。最初は、意識的にサバサバと返答するが、表情は落ち着かない。質問を重ねると、涙があふれてくる。その繰り返しだった。挑戦が続けられないことを受け入れるために、あるいはパートナーから選択肢を奪わないように、ずっと気持ちを抑え続けてきたことがうかがえた。12月半ば、廣田との話し合い、スタッフを入れた会議が行われた。決断は、負傷者の判断が最優先だが、意見を主張するタイプではない廣田は迷っていた。福島には、それが分かっていたが、負傷者に要求などできない。福島がパートナーに配慮して自分の気持ちを抑え込みながら意見を出し、廣田はパートナーに配慮するために、福島の気持ちを知りたがり、二転三転と揺らいだ。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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