君はドレシェヴィッチを見たか!? 好調・FC町田ゼルビアの最終ラインにこの男あり!
ヨーロッパの舞台で数々の名手たちと真剣勝負を繰り広げてきた27歳が今季から町田の一員に加わった 【青山知雄】
そんな躍進を続ける町田の最終ラインに、今季から加入した一人の新外国籍選手がいる。試合の流れを読む冷静さ、戦況を打開する足下のテクニック、そして空中戦の強さ──。抜群のサッカーセンスを兼ね備えたセンターバックとして注目を集めつつある彼をご存知だろうか。
スウェーデン生まれ、オランダ&トルコ経由で日本へやってきたコソボ代表。U-17からU-19までスウェーデン代表に選出され、コソボ代表ではヨーロッパのクラブや代表チームで世界の名だたるアタッカー陣と対峙してきた27歳だ。今回はJリーグで新たな輝きを放ち始めた“旬な男”イブラヒム・ドレシェヴィッチにいち早く直撃インタビューを敢行した。(取材日:3月5日)
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代表では“6番”を務める技巧派
コソボ代表ではユーロやワールドカップの予選にも出場した 【写真:Getty Images】
ファーストネームが「イブラヒム」なので、「イボ」と呼ばれることが多いですね。皆さんも「イボ」と呼んでください。
──ではイボ選手、自分のパーソナルな部分、性格を教えてもらえますか?
冷静な一面もありますが、チームメートとはジョークを言い合いながら楽しくやっていきたいタイプですね。もちろん練習や試合は真剣に取り組みますが、基本的にはみんなで和気藹々しながらやりたい性格だと思っています。
──これまでスウェーデン、オランダ、トルコでプレーして日本へやってきました。日本の生活はいかがですか?
予想していたよりもいいですね。徐々に慣れてきている部分もあります。妻が料理をしてくれるので、そんなに外食はしていないですが、焼肉とラーメンは食べました(笑)。今後は日本での日々を楽しんでいきたいですね。
──スウェーデン出身でコソボ代表。そのルーツを教えてください。
父親がコソボ出身、母親がモンテネグロ出身なんですよ。ユーゴスラヴィア内戦を逃れるために両親が移住していたスウェーデンで生まれました。そこですぐにコソボ紛争が起こってしまい、生まれてからの20年間はずっとスウェーデンで過ごしていました。そこから国外に出てサッカーをプレーしています。
──アンダー世代でスウェーデン代表に入っていたと聞きました。
そうですね。U-19まで選ばれていて、それ以降はコソボ代表を選びました。エピソードは話しきれませんが、アンダー世代の試合では相手にいい選手がそろっていたポルトガルやフランスとの対戦が印象に残っています。
──同年代のフランスにはマルクス・テュラム、ポルトガルにはジオゴ・コスタやルベン・ディアスといった選手がいましたね。そこからコソボ代表を選んだ理由は?
やはり両親のルーツであるコソボでプレーしたかったのが大きな理由です。そう思っていたところに、代表チームの監督や関係者の方から「将来有望だから、こちらでプレーしてみないか」と誘いを受けました。コソボは紛争で大変な状況でしたが、コソボ代表としてしっかりとプレーをすれば、みんなも喜んでくれると思いましたし、実際にデビューしてからは多くの人々の気持ちを一緒に背負ってプレーをしている感覚もありました。
──コソボ代表のデビュー戦はイングランド戦でした。試合はハリー・ケイン選手やマーカス・ラッシュフォード選手などにゴールを許して0-4で敗れてしまいました。自分の中ではどんな記憶ですか?
自分にとっては祖国を背負って戦う初めての代表戦で、ビッグマッチでもありました。相手にも素晴らしい選手がいましたし、自分の中ではすごく大きな試合だったと思います。結果は残念でしたが、その経験が次のゲームに活かせると思ったので、非常にいい経験ができたと思っています。
──その後、カタール・ワールドカップのヨーロッパ予選に参加して、スペイン戦やスウェーデン戦を含む6試合に出場しました。
周りからコソボ代表への期待値はすごく高かったんですが、接戦を演じながらも思うような結果が出せなかったのは残念でした。この経験は次の予選に活かしていきたいですね。最近は親善試合が多いこともあって、なかなか代表活動に加わることができていませんが、今でも現役の代表選手ですし、求められれば何でもやっていきたいと思っています。まずは次のワールドカップを目指してレベルアップしていきたいですね。
──代表チームではどんな役割を託されているんですか?
代表では主にMFをやっています。いわゆる“6番”(アンカー)のポジションですね。状況に応じて“8番”(インサイドハーフ)に入ることもありますよ。
──ゲームメイクや攻撃的な役割を担っているんですね。
そうですね。町田ではセンターバックを任されているので、代表に行く場合は頭の中を調整したり、切り替えたりしなければならないです。中盤ではつなぎ役になったりすることも出てくるので、そういう難しさはあります。どっちが楽しいかは……状況によりますね(笑)。
ピルロ監督から受けた指導
トルコ時代の恩師はイタリア代表の名MFアンドレア・ピルロ 【写真:Getty Images】
ヘーレンフェーンは若手にとっては素晴らしい修行の場だったと思います。そこで3年半を過ごしました。トルコのクラブではアンドレア・ピルロ監督に率いられて、クラブ史上最高の7位に入ることができた。そこで1年半ほどプレーをして、町田にやってきました。
──ピルロさんはまさに世界屈指のボランチだと思います。コソボ代表では彼と同じ中盤の底を任されていますが、当時はどんなことを学べましたか?
クラブでも“6番”のポジションで、彼に認められながらプレーしました。本当にたくさんのことを学びましたよ。MFがするべき基本的なプレーやポジショニングはもちろん、ボールを失わないようにすること、安易にロングボールを蹴るのではなくてしっかりポゼッションをベースにしたことを学びました。
──オランダでは小林祐希選手(現北海道コンサドーレ札幌)とチームメートだったそうですね。
一緒にプレーしたのは半年くらいですね。私がヘーレンフェーンに来て、半年くらいで彼が移籍してしまいましたから。人間的にもいい選手ですし、彼のプレースタイルも好きでした。ただ、日本について特に聞くことはなかったですね。今回、日本の情報や状況は、スウェーデン時代にチームメイトだったガンバ大阪のイッサム・ジェバリ選手に情報を聞いたりはしました。
──G大阪とは開幕戦で対戦しましたが、ジェバリ選手はメンバー外で残念でしたね。
そうですね。ただ、彼にとっては私と対戦しなくて済んだからラッキーだったんじゃないですか?(笑)
──トルコではマウロ・イカルディ、ウィルフレッド・ザハ、エディン・ジェコ、マリオ・バロテッリといった錚々たる選手たちとも対戦しました。
本当に偉大な選手たちと対戦することが多くありましたし、自分にとっては非常にいい経験になりましたね。自分が積み上げてきたプレーを出すこと彼らにもうまく対応できたと思います。
──代表で対戦した選手も含めて、印象に残っているプレーヤーはいますか?
みんな素晴らしい選手でしたが、自分としては一つひとつをこなしている感覚だったので、あらためてすごいと思った選手はいないですね。