ファームに新規参加 新潟&静岡が描く未来構想

静岡の地で“元気”に野球と向き合う福田秀平 プロとしてのプライドは「もう、まったくない」

前田恵

練習後、若いチームメイトと一緒にグラウンド整備をする福田秀平(写真左)。どんな心境で野球と向き合っているか、今の思いを聞いた 【写真:スリーライト】

 NPBで17年プレーしたベテランが、新たなスタートを切る静岡の地で寮生活を始めている。10代、20代の選手に交じり、食後の皿洗いや洗濯なども自分で行なう日々。35歳を迎えた今季、NPBウエスタン・リーグに新規参可するくふうハヤテベンチャーズ静岡に入団した福田秀平。その視線の先にあるものは何か、聞いた。

もう少し現役を続けたい

ロッテからコーチ就任のオファーがあったが、12球団合同トライアウトに参加した福田。その思いとは? 【写真は共同】

――まずはハヤテに入団を決めた経緯から教えてください。ロッテからはコーチ就任のオファーもあったそうですね。

 昨年10月、ロッテから戦力外通告を受け、同時にコーチ就任のオファーをいただきました。当時、僕自身も“引退”は頭にありましたが、現役を引退してすぐプロ野球のコーチを務めることは考えていませんでした。指導者になるのであれば、その前にコーチングやティーチングについて、アメリカに渡ってしっかり勉強したいとかねてから思っていたためです。ちょうどそのころ、2020年に痛めた右肩の状態が良くなり、ある程度投げられる、ある程度バットが振れるようになってきました。多くの方の支えがあってここまで来たので、「もう少し現役を続けたい」という気持ちが高まり、ロッテ側にそう伝え、12球団トライアウトを受けることに決めました。そこで、ロッテの松本球団本部長からは「いつまでも待つから、秀平が納得する選択肢がなければ、ウチでコーチをしてほしい」という言葉をいただきました。一度お断りしたにもかかわらず、そんな熱い言葉をいただいて、やはり胸にグッときましたし、うれしかったですね。

――それでもトライアウトに踏み切ったのは、「俺はまだできるんだ」という気持ちが強かったからですか?
 
 それよりも、トライアウトを一つの区切りと考えていました。今後指導者の道に進むかどうかは分かりませんが、自分自身の経験として受けておいたほうがいいだろうという気持ちもありました。あとは、もし獲ってくれる球団がなければ、これが最後のユニフォーム姿になる。お世話になった方々に、ここまで野球ができるようになったというところを見てもらいたいと思いました。

――ハヤテからのオファーは、そのトライアウト後ですか?

 はい、12球団のオファー期間を終えたあと、ありがたいことに複数のオファーをいただきました。その中の一つが、ハヤテ。「ゼロからスタートするチーム」ということに、とても魅力を感じました。NPBはこの66年間、ずっと12球団を貫いてきました。水面下では16球団構想が何度も囁かれながら動かなかった大きな山が、二軍とはいえ66年ぶりに動きました。そこにゼロから球団を作るところに興味が湧きました。そのうえで「最年長の選手としてチームを引っ張っていってほしい」「若い選手にどんどん秀平の経験を伝えていってほしい」という言葉もいただき、ハヤテ入団を決めました。

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著者プロフィール

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

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