静岡の地で“元気”に野球と向き合う福田秀平 プロとしてのプライドは「もう、まったくない」
練習後、若いチームメイトと一緒にグラウンド整備をする福田秀平(写真左)。どんな心境で野球と向き合っているか、今の思いを聞いた 【写真:スリーライト】
もう少し現役を続けたい
ロッテからコーチ就任のオファーがあったが、12球団合同トライアウトに参加した福田。その思いとは? 【写真は共同】
昨年10月、ロッテから戦力外通告を受け、同時にコーチ就任のオファーをいただきました。当時、僕自身も“引退”は頭にありましたが、現役を引退してすぐプロ野球のコーチを務めることは考えていませんでした。指導者になるのであれば、その前にコーチングやティーチングについて、アメリカに渡ってしっかり勉強したいとかねてから思っていたためです。ちょうどそのころ、2020年に痛めた右肩の状態が良くなり、ある程度投げられる、ある程度バットが振れるようになってきました。多くの方の支えがあってここまで来たので、「もう少し現役を続けたい」という気持ちが高まり、ロッテ側にそう伝え、12球団トライアウトを受けることに決めました。そこで、ロッテの松本球団本部長からは「いつまでも待つから、秀平が納得する選択肢がなければ、ウチでコーチをしてほしい」という言葉をいただきました。一度お断りしたにもかかわらず、そんな熱い言葉をいただいて、やはり胸にグッときましたし、うれしかったですね。
――それでもトライアウトに踏み切ったのは、「俺はまだできるんだ」という気持ちが強かったからですか?
それよりも、トライアウトを一つの区切りと考えていました。今後指導者の道に進むかどうかは分かりませんが、自分自身の経験として受けておいたほうがいいだろうという気持ちもありました。あとは、もし獲ってくれる球団がなければ、これが最後のユニフォーム姿になる。お世話になった方々に、ここまで野球ができるようになったというところを見てもらいたいと思いました。
――ハヤテからのオファーは、そのトライアウト後ですか?
はい、12球団のオファー期間を終えたあと、ありがたいことに複数のオファーをいただきました。その中の一つが、ハヤテ。「ゼロからスタートするチーム」ということに、とても魅力を感じました。NPBはこの66年間、ずっと12球団を貫いてきました。水面下では16球団構想が何度も囁かれながら動かなかった大きな山が、二軍とはいえ66年ぶりに動きました。そこにゼロから球団を作るところに興味が湧きました。そのうえで「最年長の選手としてチームを引っ張っていってほしい」「若い選手にどんどん秀平の経験を伝えていってほしい」という言葉もいただき、ハヤテ入団を決めました。