ファームに新規参加 新潟&静岡が描く未来構想

静岡の地で“元気”に野球と向き合う福田秀平 プロとしてのプライドは「もう、まったくない」

前田恵

肩のケガで野球を終えたくない

右肩のケガの影響で打撃フォームを変えた福田。ケガ前より可動域がかなり狭いが、技術向上の手応えを感じているという 【写真:スリーライト】

――繰り返しになりますが、福田選手はなぜ野球を続けるのか。ハヤテでのプレーの先にあるものはNPB復帰なのか、どこを目指しているのでしょうか。

「元気に野球をやる」ことですね。これまで痛み止めの注射を欠かさず打ち、毎晩痛み止めを飲んで寝ても、肩が痛くて眠れないときもありました。朝は誰より早く出かけて肩のトレーニングや治療をしてもらい、やっとグラウンドに立てるような状態でした。とはいえ、プロは数字を残してナンボの世界。一軍でグラウンドに立っている人たちも、皆必ずどこかに痛みを抱えながらプレーし、その中で数字を残しています。そんな世界で僕はロッテにFA移籍してからの4年間、給料に見合う働きができなかったわけですから、この4年間は勝負に負けてしまったということ。それでも昨季終盤、1日300球、400球打っても翌朝起きて「今日もボールが投げられる。試合に出られるんだ」と実感できたとき、心から「もう少し野球を続けたい」と思いました。6歳から続けてきた野球を最後、肩のケガで終わりたくない気持ちもありました。

――ハヤテではキャンプから福田選手の一挙手一投足を周りの選手も、スタンドのファンも見守っている感があります。ご自身も感じていますか?

 それはありますね。だからこそ、僕は自分が見て接して、「素晴らしいな」と感じてきた先輩方の姿をポイントポイントで思い返し、真似ながら日々行動しています。僕が18歳で入団したとき、ソフトバンクには小久保(裕紀=現監督)さん、松中(信彦)さんといったレジェンドの方々が在籍していました。10歳以上離れた先輩たちが先頭に立ち、常に一番元気で声も出ている。一切手を抜かずに練習にも取り組んでいる姿を見て、僕は強く憧れました。あのお2人なら、こんなときこうしていたな、とか、川﨑(宗則)さんならこうだった、松田(宣浩)さんならサードでずっと声を出していたな、とか。そんなことを常に考えています。

――右肩の手術後、バッティングフォームを変えてきたとお聞きしています。そのフォームは完成に近づいていますか?

 完成することはないですが、そのとき、その状況に合わせたバッティングフォームを毎日試行錯誤しながら考えています。ケガの影響で右肩の可動域が狭まった分、下半身をどんなふうに捻転させてパワーを伝えるか。バッティング練習で強い球は打てるので、実戦に入って、さまざまな球種に対応できるようまた変えていくつもりです。

福田が誇る世界でたった2人の偉業

駐車場にマリーンズのステッカーを貼った車や船橋ナンバーの車があったことを伝えると、福田は「素直にうれしい」と笑う 【写真:スリーライト】

――今は毎日、何が一番楽しいですか?

 もう、こうして野球ができていること自体が楽しくて仕方ないですね。過去3年間、(ロッテの石垣キャンプの)この期間はずっとリハビリ尽くしでしたから。なので、この1月、2月にチームの皆と一緒に毎日(練習時間の)最後までグラウンドにいられるのが、今はとても楽しいです。

――プロ野球選手の中でも特に一軍でプレーし、優勝も経験した選手は、どこかにプライドを持っていると思います。それは時に支えにもなるし、逆に妨げになることもある。福田選手は今、ご自身のどこにプライドを持って、ハヤテでプレーしていこうと思っていますか?

 プライドは正直、ロッテ時代にズタボロになったので、もうまったくないですね。もともとそんなにプライドを持っていたかどうかも分かりませんが、「ロッテで勝負を賭けてやる」と思って移籍し、結果を残すことができなかったので、今は自分を過小評価しまくっています。周囲の方は「いや、ケガさえなければすごい選手だったんだよ」とは言ってくださいますが、自分としてはそんな自信も粉々になった。だからまた一から、試合で1本1本、ヒットを打つことの積み重ねで、自信を高めていければなと思っています。

――「すごい選手だった」と過去形にはしてはダメですね。

 いやいや、でも一つだけ自慢があるんです。この間、記者の方から「大谷翔平投手と山本由伸投手(共にMLBドジャース)から2本ずつホームランを打ったのは、世界でたった2人、柳田(悠岐=ソフトバンク)選手と福田選手だけですよ」と教えてもらいまして。それは一生自慢させてもらおうと思います(笑)。

――7月31日(NPBの新規選手契約可能期間終了日)という日付は意識していますか?

 特に意識はしていないです。もちろんその先に、そういうこと(12球団との選手契約)があればいいと思うんですが、まずはこの静岡の地で1試合、1試合勝ちに貢献すること。そこを目標に頑張ります。また今年36歳を迎えますけれども、バッティングだけでなく走るほうにも、もう少し力を入れるつもりです。ソフトバンク時代、周東(佑京)君が来てから一番手は取られてしまいましたが、それまでは僕が代走の一番手でした。去年も(ロッテの)二軍では、和田(康士朗)君や髙部(瑛斗)君とほぼ同タイム。走力という点では若い選手にも負けていないので、これならまだ走れるなと思っています。


企画構成:スリーライト

2/2ページ

著者プロフィール

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント